高い目標を掲げるのはすばらしいことだが、高すぎる目標は自らの身を滅ぼす原因になる。たとえば、予算が違う競合他社と同じ営業スタイルをとっても、無理が生じるだろう。いったい、どこにプライオリティを置くべきか。まもなく始まるモスクワ世界陸上(8月10~17日)の日本マラソン・長距離勢の“戦い方”に、ビジネスにも通じる戦略があふれている。
日本勢は1980~1990年代に男子マラソンの、1990~2000年代前半に女子マラソンのピークがあった。しかし、近年はアフリカ勢のマラソン“本格参戦”により、日本勢の優位は大きく崩れた。1万mなどのトラック種目でも、世界との差をじわじわと広げられている。
それでも日本勢は2009年ベルリン世界陸上で尾崎好美が銀メダルを獲得するなど、世界大会の“順位”だけを見れば、実に健闘している。特に注目したいのが男子マラソンだ。ベルリン世界陸上で佐藤敦之が6位、11年テグ世界陸上で堀端宏行が7位、昨年のロンドン五輪で中本健太郎が6位と、世界大会では3回連続で入賞をモノにしているのだ。
フルマラソンは、夏と冬で大違い
オリンピックと世界陸上は夏に開催されることもあり、2008年北京五輪までは、2時間9分を切ったのは一度だけ。涼しいコンディションの中で2時間4~5分台で進む高速レースと、暑さの中で2時間10分を超えるレースでは、求められるものが違ってくる。どちらかというと、日本勢は夏マラソンを得意としてきた。なぜなら、ウエア、シューズ、給水など、科学的データを駆使することで、「暑さ対策」というアドバンテージを得てきたからだ。しかし、08年北京五輪で夏マラソンの“常識”が崩れることになる。
北京五輪の男子マラソンでサムエル・ワンジル(ケニア)が熱風をなびかせて、2時間6分32秒という驚異的なタイムで突っ走ったからだ。気温29度まで上がった暑さの中、ペースメーカーもつけずに最後まで押し切ったワンジル。そのとき、刻んだ五輪レコードは、絶好のコンディションの中で誕生した日本記録(2時間6分16秒)に近いタイムで、日本マラソン界にとってはショッキングな出来事だった。
北京五輪の高速レースに、日本勢はまったく対応することができなかった。2005年ヘルンキ世界陸上で銅メダルを獲得した尾方剛の13位(2時間13分26秒)が最高で、佐藤敦之が完走中最下位の76位(2時間41分08秒)、大崎悟史は途中棄権と“惨敗”した。しかし、日本勢はこの大敗がターニングポイントになった。北京五輪以降の世界大会から明確に戦い方を変えてきたからだ。
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