バー・タルティーンがあるのは、ミッションと呼ばれる地区で、もともとメキシコ系の住民がひしめいているところである。ここでは、ヒスパニック語で書かれた洋品店や食料品店の看板が視界を埋め尽くしている。
レストランに勤めながら、ミントは自分の料理を前面に出す経験をしたいと考えた。そこで、地元でメキシコ料理のタコスを売るフードトラック運転手に交渉して、彼が休みの日にトラックを借り、グルメなタコスを売る商売を始めたのである。そのタコスは、世界一周旅行で彼が味わったさまざまな料理がフュージョンされた、非常にユニークなものだった。
ミントのタコスはすぐに話題を呼び、フードトラックに行列ができるようになる。趣味でやっているつもりだったのに、思った以上の結果になってしまった。そして、人気が高まるにつれて近隣住民が人だかりを迷惑がり、ミントはフードトラック営業をあきらめなければならなくなった。
木曜の晩だけ、300ドルで店を借りる
別の営業場所を探して、ミントはミッション地区を歩いた。そこで足を踏み入れたのが、「龍山小館」という中国語の看板が掲げられた、何の変哲もない中華料理店だった。そこで店のオーナーに「1週間に1晩だけ、店を貸してくれないか」と、広東語で頼んだのである。なぜ1晩だけかというと、ミントはまだ見習いシェフとして働いていたからである。
その店は、もはや店内でのレストラン営業こそ行っていなかったが、テイクアウトの注文だけは取っていた。何度かのやりとりの後、オーナーはミントの要望を受け入れ、木曜日の晩だけ300ドルで店を貸すことになった。ただし、ミントのポップアップ・レストランが営業している日でも、オーナーのテイクアウト・ビジネスは営業中で、キッチンはふたつのレストランの料理人が混在するという、ひどい混乱ぶりだったようだ。
そのうち、そのポップアップ・レストランにも行列ができるようになる。3時間待ちということもよくあった。その頃には、ミントもシェフ見習いを辞めて、こちらに専念せざるをえなくなっていた。もともと「見習いから副シェフになり……という、通常のレストランのキャリアには関心がなかった」とミントは言うが、だからといって何をやりたいのかはずっとわからなかったという。このポップアップ・レストラン「ミッション・チャイニーズ・フード」は、そんな彼の運命を決定づけたのである。
ミッション・チャイニーズ・フードの料理は、ほかの誰にもまねができないものだろう。基本的には中華料理だが、南米のスパイスや東アジアのハーブが混じったりする。時にはフランス料理の手法で作られたような煮込み料理が出てくることもある。だが、どれも目が覚めるくらいスパイシーで唐辛子のホットさが効いた皿ばかりだ。要は国籍不明な料理で、これまで味わったことのないような材料の組み合わせが織りなすセンセーションにくぎ付けになるのだ。
そして値段が安い。本当にボロい中華料理店並みの値段。これだけ、創作力あふれる料理がこの値段で食べられるとは、と客の感激も一層大きくなるのだ。
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