常見:そもそも芸能人のような芸を磨く世界と、会社で平日働いて年間数百万円稼ぐ世界は全然違います。「昔は無給で頑張った」みたいな話を彼らにされても仕方ない。それは置いといても、働き方改革にも「老害の論理」が政治家と経団連に見られますよね。若者はおカネがないし、フリーターの人たちが働こうとしても求人は飲食業が中心で、自分のしたい仕事が選択できる状況にない。老害たちがそんな環境の変化に無頓着です。
赤木:フリーターに飲食の仕事しかないのはそのとおりです。みんな無頓着に「探せば仕事はある」と言いますが、うそくさく思います。東京の飲食の仕事の時給は1000円前後ですよね。一生懸命頑張っても、時給がすごく上がるわけでもなく、スキルアップにもつながりません。それって「仕事」なんでしょうか。僕は仕事じゃないと思っています。正社員のように働いても手取り12万円程度しかもらえず、生活が成り立たないんだから。
正規雇用の働き方も変化している
常見:非正規だけではなく、正規の働き方も変わっていますよね。家族の中でお父さん1人が会社で9時間くらい働けば、子ども2人を大学に行かせられて、一軒家くらい買えるモデルはもうありません。
おおた:今までは企業に属しているかぎり、多少窓際族になっても「普通」の生活が用意されていた。ほかの国であれば行政がやるような福祉的なセーフティネットの代わりを企業が担ってきたわけです。
でも、今は1人が9時間働くだけでは足りず、女性も働くことになりました。じゃあ、1人4.5時間働けばいいのか? 何時間働く社会を目指すんだっけ? というのが、「ワーク・ライフ・バランス」を目指す働き方改革のそもそもの議論だと思うんです。それは専門家や政治家が言っても決まらないことで、国民のコンセンサスでしかありません。それを話し合うのが働き方改革実現会議だったはずなのに、論点が早々に三六協定になってしまい、結果「残業100時間未満かどうか」の議論になってしまう。生きるか死ぬかと、生活を豊かにする「ライフ」は次元が違う。そこが混合されて議論されたのが今回の不幸なことだと思います。
常見:「働き方改革」といっているのに、「労働時間100時間未満だ!」と昭和の春闘みたいな話をしていますよね。これからの働き方でもなんでもない。天皇の生前退位の話が出て、平成のスターSMAPすら解散したのに、なぜ昭和にしがみついているのか。
おおた:働き方改革も、昭和的な経済成長を目指すところに無意識のうちにいっていたんじゃないかな。
赤木:おおたさんに伺いたいのですが、そんなにみんな家事や育児をしたいのでしょうか。仕事をして長時間労働をしているほうが会社にも認められるし、メリットがありますよね。ですが、家で育児をやったって大したメリットはありません。やりたがっているのであれば、改革もうまくいくと思うのですが、望んでいないのであればうまくいかないんじゃないかな。
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