本能寺の変、「本当の裏切り者」は誰なのか 教科書が教えない「明智光秀」以外の真犯人
明智光秀の「動機」が不明な中、現時点で最も有力な「黒幕説」といわれているのが、次に紹介する「朝廷・公家勢力」説です。
【信長暗殺の黒幕5】「朝廷・公家勢力」説
信長は安土城内に、天皇の住まいである清涼殿を模した御殿を造営していたことが発掘調査で明らかになっています。つまり、「天皇を安土に迎える構想」を抱いていたと考えられます。
もしこの構想が実現すると、公家勢力が「朝廷の実権が信長に握られ、自分たちの地位がないがしろにされる」と危機感を覚えた可能性は十分考えられます。
そこで、「正親町(おおぎまち)天皇」の側近である「近衛前久(さきひさ)」「勧修寺晴豊(はれとよ)」「吉田兼見(かねみ)」らを中心に光秀を取り込み、信長暗殺をけしかけたと考えれば……?
現実には公家たちの思惑は外れ、天下は秀吉のものになります。しかしそのとき、公家たちは、五摂家の者だけしか就くことができない「関白」の地位を、出自が定かではない秀吉に与えるのです。
これを、「信長のような勝手な行動を秀吉にさせないために、公家勢力が秀吉を懐柔する策をとった」と考えれば、「朝廷・公家黒幕説」は大いにありうる話でしょう。
日本史上「最大の謎のひとつ」は解明されるか
事件当日、寺を取り囲まれた信長は、自らの命を狙う謀反の相手が光秀だとは予想だにしていませんでした。
それほど光秀の裏切りは謎に包まれており、「日本史上最大の謎のひとつ」となっています。
今回紹介した各「黒幕説」も、光秀個人の動機がはっきりしない中で出てきた真相解明へのアプローチのひとつです。決定的な証拠が見つかっているわけでもなく、もちろんどれも断定はできない話です。
「本能寺の変」については、古くから50以上の説が提起されており、新史料や発掘調査の成果公表にともない、今後もさらに新説が出てくる可能性は非常に高い状況です。
本能寺の変は「明智光秀の単独犯行」なのか、それとも「黒幕」が存在したのか。今後の研究に期待したいと思います。
近年の発掘調査によって、本能寺は「寺」というよりむしろ「城郭」に近い構造だったなど、日本史では次々と新事実が判明しています。ここ数十年の間に、私たちがかつて習った日本史は、大きく様変わりしているのです。
歴史研究は日々進化しており、歴史はたえず変化しています。私たちが学生時代に習った「日本史」と、いまの「常識」は大きく異なっているケースもあります。
ぜひ、この機会に「最新の日本史」を知り、大人として知っておきたい「歴史の知識と教養」をいっきに身に付けてください。
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