本能寺の変、「本当の裏切り者」は誰なのか 教科書が教えない「明智光秀」以外の真犯人
「本能寺の変」で明智光秀を扇動した「黒幕」はいたのか? いたとすれば、それは誰だったのか? その後の光秀のあまりにも手際がいい行動、「本能寺の変は用意周到に準備されていたのではないか」と思われることから推測すると、いくつかの「仮説」が浮かび上がってきます。
「徳川家康」「豊臣秀吉」説もある
【信長暗殺の黒幕1】「徳川家康」説
徳川家康は「信長の部下」ではなく、同じ大名としての「同盟者」です。そして当然、彼も天下を狙っていたでしょう。事件当日、家康は堺方面に鉄砲を買い付ける目的で寄留中で、大金を所持していました。
この大金を、共謀する光秀が事件を起こしたあと、安土から西の地域の大名・商人を支配下におくために家康が用意していたもの、と考えれば……?
家康は、堺の商人たちと親しくしていました。南蛮貿易を進めていた信長の動きは、堺の商人たちの利益を奪うものでもありました。そこで商人たちが、家康に信長打倒をそそのかしたということは、十分に考えられます。
ただし、事件後に家康は、浜松に帰還するのにたいへんな苦労をしています。家康は黒幕というよりも、一被害者と考えることもできます。
【信長暗殺の黒幕2】「羽柴(豊臣)秀吉」説
数々の合戦で手柄を立てながらも、家柄の低い秀吉は、織田家の中で最も下に扱われていました。
信長には、柴田勝家、滝川一益といった実力のある譜代の家臣たちがいます。いくら「実力主義」を掲げる信長のもとでも、「自分がトップに躍り出るのは難しい」と考えた秀吉が、一発逆転を狙って信長の暗殺を企てた、と解釈すれば……?
当時、秀吉と光秀は信長から山陽・山陰地方の攻略を任されていました。「2人が結べば西日本を押さえられる」と秀吉が光秀をけしかけ、信長暗殺を決行させたと考えることも可能でしょう。
そうだとすれば、その後タイミングを計ったように素早く敵対する毛利と和睦を結び、ありえないスピードの「中国大返し」で都に帰還した彼の行動も、容易に説明できます。
事実、秀吉は京方面にも多くの間諜を配していたようで、かなり早い時間に本能寺の凶変を知ったようです。明智光秀を討った「山崎の戦い」は、「謀反の責任を光秀に押し付ける口封じのため」とも解釈できます。
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