ファックス1枚で芸能界引退、どこが悪い? あなたが知りたいことと先方の義務は別だ
成宮寛貴、江角マキコと続いた突然の芸能界引退。ファックス一枚でシャットダウンしたことにマスコミは異議を唱えたが、これを肯定する小田嶋隆は、背景にある「調査報道の堕落」を指摘した。
個人の決断を阻止する権利を持っているのか?
江角マキコの引退表明は、ファックス一枚の捨て台詞をもって完了した。ちょっと前に、突然芸能界引退を告知した成宮寛貴のケースも同様だ。彼もまた、関係各方面およびメディア各社に直筆のファックスを送信して、それっきりぷっつりと姿を消している。
「おい、これで終わりなのか?」
「こんなことで良いのか?」
と、ハシゴを外された感じを抱いている読者も少なくないはずだ。
が、これで良いのである。
というよりも、こうでなければいけない。
芸能人であり続けるためには、対世間的なプロトコルを共有せねばならないのだろうし、業界のしきたりにも従わなければならないのだろう。が、やめることになったら、そこから先は個人の自由だ。何かをやめることについての個人の決断を阻止する権利を持った人間は、本人以外には一人も存在しない。
説明責任? 甘ったれるなよ。
あんたが知りたいと思うことと、先方に説明義務があるのかどうかは別の話で、さようならを言う人間は、誰に対しても説明義務を持たない。バイバイより強い言葉はない。
引退を表明した元・芸能人の、この圧倒的な自由さは、芸能人という存在が、何らかの意味で自由を売り渡している人々であることを逆説的な形で証明している。
ファックスと言えば、いまから15年ほど前、当時連載を持っていた『読売ウィークリー』という雑誌のコラムの中で、「ファックスが芸能マスコミを殺す」という主旨の原稿を書いたことがある。以下、内容を紹介する。