しばしば勘違いされますが、リスクとは行動を起こさなければ生じないものではありません。「ある行動によって、危険に遭ったり損をしたりする可能性」というとき、「ある行動」には「行動しない」という行動も含まれているのです。動かざるもリスクです。なぜかといえば、たとえ自分が動かない(つもりでいる)としても、自分を取り巻くさまざまな状況はつねに変化し続けているわけです。
仏教には「すべてのものは相依って成り立っており、それそのものとして独立して存在するものは何もない」という「縁起」という考え方があります。その視点から見ても、自分の存在と外部環境を切り離して独立したものと考えることなどできません。
トップ経営者の発する「リスクを取れ」はなぜ”重い”か?
トップ経営者の方々は、そのことを理解しているからこそ、「リスクを取れ」と言うのだと思います。動くもリスク、動かざるもリスク。自分も外部も、瞬間瞬間、つねに状況は変化しています。諸行無常が道理であり、瞬間瞬間、現実を正しく見て、判断していかなければならないことを、経営者の方々は山あり谷ありの大変な経験から、それを体得しておられるのでしょう。
その道を極めた人は、ものの見方が違います。私たちの日常感覚とは違った見方で物事をとらえています。その点で、私は経営者も宗教者も道を極めるとものの見方が近くなるように感じます。淡々と過ぎて行く会社での日々に、「ノーリスク」の自分を見いだす一般的なビジネスパーソンとは違い、トップ経営者は一見、何の変化もないように見える日常に、非日常を見るのです。
先日、大阪の應典院というお寺で住職の秋田光彦師とお話をしていたときに、日常/非日常感覚について面白い話題がありました。「震災など緊急時の非日常においては、誰でも利他主義になろうとする傾向がある。しかしその後、日常に戻ると多くの人が自己中心的な元の姿に戻ってしまう。宗教者の真価は、その日常において利他主義を貫けるかどうかだろう」というのです。
ビジネスパーソンに当てはめても、同じことが言えるのではないでしょうか。学校を卒業して企業に入社したばかりの新人は、今までと違う非日常のビジネスの世界に触れて夢や希望にあふれています。しかし、その非日常もやがて日常化し、気がつけば多くのビジネスパーソンが、文句を言いながら淡々と過ぎて行く会社での日々を当たり障りなく「ノーリスク」で過ごすようになります。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら