女性初の銀行トップが語る「リーダー論」 「野村証券」に入社したのはバブルまっただ中

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――そんな中、なぜ、当時の野村証券を就職で選ばれたのでしょうか?

私は野村証券に入ったのは89年なんですけれども、まだ男女雇用機会均等法が施行されて間もない時期で、いわゆる女性総合職の採用というところをやっているところはありましたが、本気でやっているかどうかというとそんなに数は多くなかったと思います。

そんな中でお会いした女性の先輩社員の方々が本当に皆さん素敵に働いていて、特に男女ということなく、平等に仕事を任せてもらえると感じましたので、野村証券に入りました。

――男社会に見えますけれども、実はそのときも、女性が生き生きと働いていたのですね。

そういうのはすごく感じました。今年も3月から、私ども野村信託銀行も新卒の学生さん向けの広報が始まりますが人事がということではなく、なるべく社員に直接、会ってもらいたいと思っています。学生さんには入社2、3年目の社員と直接、話して決めていただければと思います。自分が就職活動したときのことを思うと、そういったことを大切にしたいと思っています。

――その他にも、野村証券を選んだ理由はありましたか。

学生時代に1年間アメリカに留学をした事があって、もう1回行きたいという思いもありましたので、野村証券が、女性も海外留学に出しているということも聞いておりましたので、そこも魅力のひとつでした。

バブル期に感じた疑問

――入社された1989年は、まさにバブルのまっただ中ということで、当時の会社、相当お忙しかったのではないでしょうか?

私は株式関係のトレーディングの部署に配属されました。バブルの絶頂期の株式フロアということで、本当に今ですと怒られちゃうと思うのですが、すごく朝早く出勤していまして、ロンドンの午前中くらいまでずっと取引をしていましたのでずっと一日中、声を上げながら、トレーディングをするというような感じでしたね。

――若かったとはいえ、きつかったんじゃないですか。

そうですね。これが何の役に立っているのだろうという疑問を、途中から感じていて、自分のやっていることの意味は何だといつも思っていました。一応、総合職というかたちで入社していましたので、まあ私が挫折をしてしまうと「やっぱり女性は……」というふうに言われるのではないかという思いも少しありまして、それでちょっと踏みとどまって頑張ったというようなのが、もう30年近く前ですね。

――当時はまだまだ女性が、ちょっと頑張らないと、後からついてくる人たちに迷惑がかかるという気持ちがあったかもしれないですね。

そうですね。結構、肩に力が入っていたんじゃないかなと思います。

――そして、入社6年目でついに念願のアメリカ留学を迎えられたわけですが、再びそのアメリカに行かれて、改めて考え方など変わったことはありますか。

それまでは少し“井の中の蛙(かわず)”といいますか、会社に入って随分、天狗になっていたところがあったのですが、やはり見える世界、知っている人も広がって、なんというか、物事を相対的に見られるようになった感じがしました。

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