「藍」の真実をどれだけ知っていますか 思わず人に話したくなる蘊蓄100章

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21. 蓼藍はタデ科イヌタデ属の一年草。湿地を好み、河川流域によく育つ

藍の畠(写真:エジ / PIXTA)

22. 染色には葉の部分が使われる。生の植物の状態では青くないが、加工すると鮮やかな青色を発色する性質をもつ

23. 蓼藍には「小上粉」「小千本」「百貫」などの品種がある

24. 阿波(徳島県)吉野川流域はとくに蓼藍の生育に適した土地として栽培が進められ、近世中期には「阿波25万石、藍50万石」などと謳われた

25. 鎌倉時代には武士が一番濃い藍染めを「褐色(かちいろ)=勝色」と呼んで鎧の下に身につけるなど戦勝の縁起かつぎに多用。 藍染めは、武士の色として定着した

26. 藍染めが庶民の間に普及したのは江戸時代。着物に作業着、のれんにのぼりなど、江戸の町は藍色に溢れていた

27. 江戸時代の奢侈禁止令後も、藍染は禁止されることがなかったため、日本の代表的な色として定着した

28. 染物商は藍染めを主としたことから「紺屋」と呼ばれた。全国に多数残る紺屋町の名は染物商が多く住んだ地域

日本ならではの藍染めの色を

29. 明治8年に英国の化学者アトキンソンが来日、日本ならではの藍染めの色を「ジャパン・ブルー」と賞賛

30. 明治23年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も「日本は神秘なブルーに満ちた国」と著書に記した

31. 明治時代から大正時代中期、国鉄や郵便局の制服に藍染めの布が使用されていた

32. 徳島県では明治36年に藍草の生産のピークに達し、作付面積は県内の約23%にも及んだ

33. 以後日本にもインドから良質で安価なインド藍が輸入されはじめ、明治後期からは化学合成された人造藍の輸入が急速に増大し、日本の藍づくりは衰退の一途を辿る

34. 昭和40年代までに阿波藍は絶滅の危機に瀕したが、徳島県の保護奨励策により現在は90軒の農家が藍を栽培

35. 現在、蓼藍は工芸作物として北海道、青森県、兵庫県、徳島県、沖縄県の5都道府県で栽培・収穫されている

36. ほかに沖縄にはキツネノマゴ科の琉球藍があり、古くから泥藍として使われている

37. 1880年にドイツの化学者アドルフ・フォン・バイヤーが天然インディゴとまったく同じ成分構造を持つインディゴの合成に成功。石炭から作る合成染料が誕生した

38. この合成インディゴを「化学藍」「合成藍」と呼ぶ

39. また、天然インディゴには不純物が含まれるのに対し、合成インディゴには不純物が一切含まれないことから「インディゴピュア」とも呼ぶ

40. 後にバイヤーは「有機染料およびヒドロ芳香族化合物の研究」でノーベル化学賞を受賞している

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