織田信長は「部下に嫌われる鬼上司」の典型だ 「ムチャぶり」も酷いし、怒ると怖すぎ…
今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
希代の天才であり残虐な危険人物
Q1. 織田信長はどのような人物ですか?
1534年、尾張守護代だった織田家の一支流の家に、那古屋(なごや)城で生まれました。
幼少期より「破天荒な素行」を繰り返して「うつけ(当時の意味では、ばか者、アホな人)」と呼ばれますが、次第に頭角を現し、ついに家督争いに打ち勝って、最終的には尾張を統一します。
その間、1560年に「桶狭間の戦い」で駿河の今川義元を破り、1568年には将軍足利義昭を奉じて上洛を果たし、最終的にはその室町幕府を終焉させました。
「家臣団の城下町集住」や「鉄砲の導入」「楽市楽座の推進」など、旧来の慣習にとらわれない斬新な手法で天下統一に邁進しますが、1582年に家臣である明智光秀の謀反により本能寺で生涯を閉じます。
Q2. 実際の信長はどんな人だったのですか?
非常に「ワンマン」な人だったようです。当時、日本に滞在し、信長に謁見した南蛮人宣教師の記録には、下記のような人物像が描かれています。
ちなみに最近行われたあるアンケートで「あなたの嫌いな上司」の第1位は、「こちらの意見を聞いてくれない」でした。これを見るかぎり、信長は「部下に好かれる上司」とは、かなりかけ離れているでしょう。
Q3. そんな信長に、部下たちはどう接していたのですか?
まさに「滅私奉公」で、彼の言葉には絶対服従でした。
あるとき、現在の和歌山県北部にある根来(ねごろ)を訪れた信長に対し、寺の僧侶たちが歓迎の意を込めて餅をつき、適度な大きさに丸めたものを大皿に盛って献上しました。
彼は2~3個を頬張り「うまい」と褒めると、家臣に向かって「お前たちも食え」と、その餅を、なんと馬糞が転がる路上にぶちまけます。
すると、家臣たちは「泥だらけの餅」を争うようにむさぼり、あっという間に平らげてしまったというエピソードも残っています。
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