織田信長は「部下に嫌われる鬼上司」の典型だ 「ムチャぶり」も酷いし、怒ると怖すぎ…

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織田信長本人にどれほどの自覚があったかわかりませんが、信長の言動はしばしば「常人の想像の域」を超えており、その「ムチャぶり」によって、部下たちが翻弄されるケースも多々ありました。

誰にも「安泰なポスト」は与えない

Q4. どんな「ムチャぶり」をしたのですか?

あの「桶狭間の戦い」では、前日からの長い軍議において「結論として、今日は何もしない」と解散しておきながら、その深夜、突如ひとりで出撃します。それを知った部下たちが慌てて彼の後を方々から追いかけ、そのまま今川本陣への突入作戦が決行されました。

またある戦いでは、増水で渦を巻くほどの濁流となった川を「早く渡れ」と命じてみたり、安土城が完成しても家族を呼び寄せずにそれまでの岐阜に住まわせていた家臣120人に対して、もれなくその家を放火、強制的に安土へ引越しさせたこともあります。

Q5. 「部下の失敗」にも厳しかった?

はい、あの秀吉でさえ、信長には「厳罰」を下されています。

1577年、越後から北陸へ進軍してきた上杉謙信を迎え撃つため、信長は柴田勝家らを派遣し、秀吉にも出陣を命じました。しかし、柴田勝家との作戦をめぐる意見対立が高じ、秀吉は勝手に戦線を離脱して帰還してしまいます。

そのときは秀吉の「必死の弁解」が実り、危うく「死罪」は逃れたものの、秀吉は「信長の許し」を得るまでの数カ月間、自宅謹慎を余儀なくされました。

Q6. 織田家では「高い地位」にいても「安泰なポスト」ではなかった?

そうです。「地位の高さ」は関係なく、「処分」は厳格です。

「織田家躍進の原動力」として40年余りにわたって信長に従い、数々の戦功をあげてきた最有力家臣のひとりに「佐久間信盛(のぶもり)」がいます。

しかし、佐久間信盛は「合戦での積極性がまったく見られなかった」という「罪」により、突如、家禄を没収されます。そして家中から追放され、その後の赦免も一切ありませんでした。

Q7. なぜ部下たちは、そんな信長に服従したのですか?

もちろん、「信長を恐れていたから」です。

そして、彼に恐怖しながらも、当初は途方もない夢にすぎなかった「天下統一」を次々と現実にしていく「天才的手腕」を目の当たりにするうち、彼を絶対視するようになりました。

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