「AI」が書いた小説はどれだけ面白いのか 人工知能で短編小説に挑戦した著者が語る

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佐藤 理史(さとう さとし)/1960年生まれ。京都大学大学院工学研究科博士後期課程電気工学第二専攻研究指導認定退学。北陸先端科学技術大学院大学、京都大学大学院各助教授を経て、2005年から現職。専門は自然言語処理・人工知能。「気まぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトに参画。(撮影:梅谷秀司)

──単語などの部品や、文章のつながりの規則とか物語の展開はすべて人間がプログラムして、コンピュータが自動でしたことは、その制約内で部品を組んだことだけ?

はい。コンピュータがやるのはそれがすべてです。たとえば、膨大な計算を「コンピュータがやった」と擬人化して言うけど、実際にやってることは人間が与えた制約に基づいて、数字の操作をしてるだけ。人間が100%プログラムを作ってそのとおりに動いてるだけなわけです。

だから「コンピュータが書いた」とか擬人化するのは本当はよくない。コンピュータが意識や自由意思を持つかのような幻想を人間に抱かせてしまう。入力と出力の間のプログラムは全部人間がつなぐんだから、賢くなってるのは人間であってコンピュータじゃない。違う言い方をすると、人間がやり方をわかっただけなんです。今までどうやったらいいかわかんなかったんだけど、こういうふうに機械的につなげばいいんだと。

面白いかどうかは別

──同じ部品・手順・展開を与えて、破綻のない完全に異なる物語をどれくらい作り出せるものなのですか。

今回の応募作は400字程度の3つの話が連なる作品だったので、100万種類くらいできる。話のつじつまが合うようプログラムするところまではできてますが、小説として面白いかどうかは全然別だけどね。

──コンピュータ自体に、「これではダメだ」と再考するとか、そんな意思めいたものはないんですね。

まったくないし、まずコンピュータは文章が読めないんです。つまり、今回コンピュータが小説を出力するんだけど、その内容をコンピュータは全然わかってない。

コンピュータに母国語はない。われわれがプログラミング言語を書いて指示し、コンピュータはそのとおりにやるだけ。理解とかないわけ。

仮にコンピュータの中で「僕」に相当するものがあったとしましょう。でもそれは単なる記号の「僕」であって、人間であるとか、男性一人称であるとか、そういう言葉の背景にある情報はゼロです。「僕」という記号は理解しても、その記号の意味はわからない。まだそのレベルです。

──読解力とは違いますが、Siriなんかはおそらく数万とか10万とかのパターンを仕込んであって、その中から質問の方向を推測し、人間のように答えますよね。

でも、「明日僕は東京へ遊びに行くんだけど、Siriも遊びに行くことはあるのかい?」なんて聞いたら、全然わかんないでしょう。仕込んであるパターン外だから。

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