「在宅死」を現役医師が必ずしも勧めない理由 家族の疲弊を考えれば病院死も選択肢に入る
南:そのとおりですね。私も大学3年生のときに、在宅で父方の祖父を看取ったことがあるので、本当にそう思います。
何年間も在宅で看ていると、やはり家族が疲弊しきってしまいます。ご本人やご家族が在宅を望み、それができる環境ならばいいとも思いますが、それ以外の選択肢として、最期のときを笑顔で安らかに過ごせる、信頼できる病院が理想なのかなと思います。
「つらい」と言えなかった、若き日の介護体験
香山:おじいさまは南さんが介護していたんですか?
南:祖母と2人で看ていました。私の父は転勤族で、私が東京の大学に合格したとき、自宅は地方にあったんです。それで、東京の祖父母の家から大学に通うのがいいということになり、私1人で上京しました。当時、祖父は脳梗塞でもう10年ほど寝たきりだったので、その介護も手伝うということで。
香山:まだ介護保険もない頃ですよね。大変でしたね。
南:はい。両親からは、「住まわせてもらっている分、ちゃんとお手伝いするように」と言われていましたし、くたくたになっている祖母を見て、私自身も、しっかりお世話をしたいと思いました。でも、実際に自分で介護するようになると想像していた以上に大変で。祖父が、「おーい!」「むつき(=おむつ)!」と叫ぶ声は、今でも耳に残っています。
香山:せっかくの学生生活なのに、「こんなはずじゃなかった」と思いませんでした?
南:正直、苦しかったです。毎日、自分の分担でやらなくてはいけないことが決まっていたので、サークル活動や友人との付き合いで帰りが遅くなるのもダメでしたし。
「祖父母の家を出たい」と言っても両親にはわかってもらえず、同時に、疲弊している祖母を見捨てて家を出たいと思う自分はなんて悪い孫だろうと、自分を責めてもいました。
誰にも弱音を吐けず、助けを求めることもできず……。あのときは、これはわが家だけの問題だと思っていて、介護が社会問題だなんていう発想がなかったのはもちろん、自分たちの窮状を世間様に訴えようなどと、思ってもいませんでした。