――当然、百田さんの気持ちとしては、次の映画はこれですよという気持ちはあったんじゃないでしょうか。
なんとなくそういう圧は感じたんですけど(笑)、とは言っても石油の話だし、経済小説だし、『永遠の0』とは違う。そのタイミングで『永遠の0』がヒットするかどうかも分からない。僕は面白かったけど、映画にするのはなかなか難しいかな、という思いを抱いていました。
――しかし映画化の話はどんどん進んでいきます。
そうですね。偉い人たちがやりましょうと言うようになってからは悩みました。題材も石油の話だし。描く時間もすごく長い。何より立派な人の物語や伝記って映画にするのは難しい。映画化のハードルは高いと思う一方で、僕じゃない人がこの作品を手掛けることを考えたら、それも嫌だなと思って。やってみようと。
偉い人の話を映画にするのは難しい
――『ALWAYS 三丁目の夕日』などもそうだと思うのですが、山崎監督は名もなき人々や、庶民の暮らしを描くことを好んできたように思うのですが。
好んでいるわけではないですが、戦国時代(『BALLAD 名もなき恋のうた』)の時も名もなき人。考えてみたら、立志伝的な、成し遂げた人の話を撮るのは初めてかもしれないですね。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は架空の物語ですしね。映画って立派な人を立派に描いてもつまらないというのが持論としてある。これをやるんだったら鐡造さんの弱さも描かなくてはならない。まわりの人たちがどういう思いをして、彼についていったのか。そんな鐡造の決断を受け入れる集団がいかにして出来上がったかなど、そうした観点で作り上げれば面白い映画になるかもしれないなと思いました。
ただ、長い物語だったので、構成は大変でしたね。「読者はここが好きだろうな」とか、「ここが映画の肝だよな」と思う箇所があっても、泣く泣くあきらめたということもありましたし、上映時間との戦いはありましたね。
――結果的に2時間半くらいの映画になりましたが、織り込めるものは折りこんだという気持ちですか。
そうですね。もちろんこれ以外の手段はあったのかもしれないですが、われわれのバージョンはこれ、という感じですね。削ったり、足したり、相当いろいろとやりましたよ。だから構成に関してはやりきった感はあります。
――本作のモデルは、出光興産創業者・出光佐三となっていますが、当時のことについては相当調べたのでは?
そうですね。助監督チームがリサーチャーのようになって調べてくれました。その膨大な資料は僕だけでなく、岡田准一君も読みました。それから映像も結構残っているんです。映像が残っているということは、その通りに作らなければならない。(出光興産の自社タンカーである)日章丸はイランのアバダンにも行っているので、たとえそれを知らない人が多かったとしても、その映像を観ることができるので嘘はつけないじゃないですか。だからどうやったらアバダンに行ったような映像が撮れるのか。本当に難しかったですね。
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