私は、耳を疑った。なぜ彼のような20代後半の若い世代、しかも気鋭の社会学者がこんな考え方をしているのだろうか? なぜ、バカが英語をしゃべってはいけないのか? なぜ、英語がしゃべれるバカが増えたらいけないのか? 教えてほしいと思った。
「英語できてもバカはバカ」は、確かにそのとおりである。
しかし、私はバカならなおさら英語を話せるようにしてあげたらいいと思う。そのほうが、英語を話せない利口より、今はたぶん就職できるし、日本以外でも活躍できる可能性が広がる。英語プアの若者は、このままだとますますワーキングプア化するだけになってしまう。そう考えると、英語教育の強化は雇用対策でもある。
英語教育こそが雇用対策である
このような英語不要論者の言動を真に受けて、「英語なんて自分に関係ない」と思っている若い人に言いたい。英語不要論を唱える人々、あるいは「英語より、まずは仕事ができることだ」などと言う人々が、なぜそうした発言をするのか、考えたことがあるだろうか?
これは、彼らが「若者に英語をしゃべられたら困る」と、心のどこかで思っているからだ。つまり、若者に英語をしゃべられると、やがて自分たちの地位がおびやかされる。それが本能的にわかるからだろう。
日本の若い世代全体が英語のバイリンガルになったことを想像してみてほしい。ほとんどの識者や評論家、コメンテーターなどは不必要になる。なぜなら、英語がわかれば、ハリウッド映画でも海外ニュースでもそのまま理解できる。英語の雑誌、本をそのまま読める。とすると、テレビや本でエラソーなことを言っている彼らの解説やコメントを聞かなくともよくなるだろう。
こう考えると、日本という国はわざと国民に英語を理解させないようにしているとしか、私には思えない。そうして、わざと若者を不幸にしているのだ。
たとえば、失業してハローワークに行くと、再雇用対策として職業訓練学校に通うための補助金が出る。しかし、英会話学校はその対象にはなっていない。かろうじて、入学金や受講料の一部が補助されるだけだ。
現在のグローバル経済では、英語教育こそ雇用対策である。インド人がグローバル経済の中で競争力があるのは英語のおかげが大きい。フィリンピンは世界有数の労働輸出国だが、それはフィリピン人は英語ができるので、世界のどこでも働けるからだ。
どうかこの際、安倍内閣は本気で英語教育に取り組んでもらいたい。そうでないと、やがて日本中に下流若者タウンが続々出現する。日本丸ごと下流社会、世界遺産になってしまうかもしれないのだ。
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