ここで、TOEFLの入試導入についても触れておきたい。
現在、言われているのは実施時期が5年ほど先になりそうだということだ。すぐに実施すると、教育現場が混乱するからだという。つまり、ここでも教師が教えられないという問題が派生している。
しかし、5年待ったとしても起こることは同じだと、私は思う。教師たちは、これまでのような受験英語方式を変えず、授業で日本語を使い、問題を解くのを解説するだろう。いわゆる対策授業をやってしまう可能性があるからだ。
TOEFLの試験は「Reading」「Listening」「Writing」「Speaking」の4科目。このうち日本人が苦手なのが、「Writing」と「Speaking」とされている。
そこで「Writing」を例にとってみると、「Writing」では、エッセイを書かなければならい。このエッセイのパターンは約200あるとされている。とすると、過去の出題パターンから、これをすべて暗記するという勉強法が成り立つ。「TOEFLはパターン丸暗記で克服できます!」と言い出す教師が現れ、予備校のような授業になってしまうだろう。
もうひとつTOEFLの入試導入には大きな問題がある。
TOEFLスコアが入試の足切りに使われるとしたら、そのスコアをどう決めるのかという問題だ。たとえば、アメリカのアイビーリーグでは「TOEFL iBT」(フルマーク120点)で最低100点は要求される。ならば、東大や京大でもこのスコアでいくとしたら、今の日本の高校までの英語教育からいって、落ちる学生が続出するだろう。かといって、70点なんてことにしたら、大学のレベルが国際的に問われることになる。国際的な日本の大学の価値は暴落してしまうのだ。
古市憲寿氏のコメントに驚く
それでは、最後の問題「英語不要論」が根強いことを検証してみよう。これは英語教育をどうやるかということよりも、今後の日本にさらに深刻な事態をもたらすと思う。
今でも「日本人に英語は必要ない。日本は日本語だけで十分暮らせる国だ」という識者がいる。また、「英語を勉強するより、美しい日本語をもっと勉強せよ。そちらのほうが先だ」という自国文化中心主義者も多い。
しかし、実際問題として、これ以上、世界標準語となった英語を使えない国民が増えたらどうなるだろうか?日本は「極東郡日本村」として世界から取り残されてしまうに決まっている。
私が驚いたのは、2カ月ほど前、「大学入試にTOEFL導入へ」のニュースが流れたとき、NHKの「ニュースWEB」でコメンテーターの古市憲寿氏が、こう言ったことだ。
「英語がしゃべるようになってもバカはバカなまま。結局、英語がしゃべれるバカが増えるだけではないですか」
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