「24時間テレビ」は障害者をどう描いてきたか

チャリティからバラエティへ?

そして、ハンディキャップのある人たちの富士山登頂や遠泳などの企画も、リニューアル後に登場。「頑張る障害者を応援する」という演出スタイルが定着していくのである。

硬派なチャリティ番組から、歌やマラソンを主軸にバラエティ色を強めた番組へ──。約25年前に確立された番組構成がいまも継承され、「マンネリ」と言われながらも、現在も高視聴率を記録し続けている。逆にいえば、バラエティ路線に切り替えたときのまま、「24時間テレビ」は大して変化をしていないのである。

多様であるべき障害者の生き方の弊害になっている

少なくとも福祉チャリティを掲げる番組であるのならば、個々の企画を時代と合わせて変化させ、“障害者に対するイメージ”もリニューアルを図っていくべきだ。事実、障害者を取り巻く環境は常に変化してきた。「かわいそう」「不幸」という紋切り型の語りに抵抗を覚え、「障害者=頑張る人」という枠組みで捉えないでほしいという声が、当事者からも上がっている。

他方、今年は相模原の障害者施設であまりにも残忍な事件が起こり、不寛容な社会のなかで優生思想のような考え方が広がっているのではないかという指摘もある。だが、そうした“状況”と呼応せず、90年代から変わることなく「24時間テレビ」は「頑張る人」「感動」という切り口しか用意してこなかった。これではハンディキャップのある人を「感動で消費」していると批判を受けても仕方がないのではないだろうか。

コラムニストのナンシー関は、いまから16年前の「24時間テレビ」に対して、こう書いている。少なくない視聴者が感じているであろう、番組への違和感を的確にすくい、評していると思うので、ここに引用したい。

〈障害のある人の生活や社会的状況を知ることや、発言に耳を傾けること、そして何よりも存在を認識することが、障害者への理解を高め、共存する社会へのスタートになりうるということは、わかる。この番組がそういう部分に貢献していないとは言わない。しかし、次々とVTRで「○○という障害を持った人が××に挑戦」と並べられると、それが「感動番組」の単なるツールに使われているようにしか見えなくて、嫌な気分にすらなる。この「嫌な気分」は、もちろんVTRの中身に対する感情ではなくて、それを「使って」いる24時間テレビへの感情である〉(『週刊朝日』2000年9月8日号)

「感動番組」である以上は、「感動」を薄めてしまうリアルな支援のあり方や社会問題としての提起は必要ないのかもしれない。また、「困難に負けず頑張る人」といったステレオタイプな障害者像でなければ、24時間テレビ的「感動」は生まれないのかもしれない。

だが、その安易で旧態依然な制作姿勢が、多様であるべき障害者の生き方の弊害になっているという指摘は、いまこそしっかりと受け止めてほしい。これは、ひとつのテレビ番組としての「24時間テレビ」への希望でもある。画一的な「感動」で押し切る現在の構成ではなく、この時代だからこそできる視聴者参加のチャリティ番組──過去のアイデアの使い回しではない、新しいかたちの放送を観てみたい。いち視聴者として、そう願ってやまないのだ。

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