「24時間テレビ」は障害者をどう描いてきたか チャリティからバラエティへ?

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こうした定番のコーナーの合間に入ってくるのが、募金箱を持って武道館に駆けつけた芸能人の“知られざる苦悩”などを取り上げた企画や、被災地支援の企画、そしてハンディキャップのある人たちと有名人の親交エピソードやチャレンジ企画といったコーナーである。このコーナーこそが、チャリティ番組としての「24時間テレビ」を支えている部分であり、ときとして「感動の押し売り」などと指摘されるパートだろう。

たとえば今年なら、レスリングの吉田沙保里が「金メダルを取る」と約束していた拡張型心筋症の10歳の女の子や、義足のサッカー少年が本田圭佑と対面する企画、脳腫瘍で亡くなった4歳の男の子の物語、福山型先天性筋ジストロフィーの女の子と家族によるアート作品づくり、片腕の少女による遠泳、下半身不随の少年の富士山登頂、盲学校とろう学校の生徒によるよさこいパフォーマンスなどが放送された。

まだ命を授かって間もない幼い子どもが死を迎えたり、難病と闘ったりしている、その現実にふれて胸を詰まらせない人は少ないだろう。あるいはあこがれのアスリートと出会い、ハンディキャップに負けないと新たな目標を持ったり、困難なパフォーマンスに挑戦したりする姿は、ただただ感動する。もちろんそこには「自分より大変な人が頑張っている」という、見下すような視線が入り込む危険もあるが、「頑張っている人を応援したい」というのは、スポーツ観戦などと同じ心情でもあるだろう。

だが、今年も気になったのは、「頑張っている人」「困難に立ち向かう人」を「応援」する一方で、現実的な支援や社会問題としての福祉についてふれようとしない番組の姿勢だ。これは数十年間の「24時間テレビ」に一貫している。

指定を受けていない難病の医療費問題、福祉施設や自宅介助が抱える現状、またはさまざまなかたちのボランティアがあること。そういった情報があって初めて視聴者は問題意識を持ちえるし、「感動」だけで終わることもない。しかし、なぜか番組はリアルな問題は一切扱わず、「障害者=頑張っている人」だけで押し通すのである。

スタート時の目的は“国民参加の福祉キャンペーン”

ここでいま一度確認したいのは、番組開始当初の“目的”だ。

番組がスタートしたのは1978年、日本テレビの開局25周年記念として第1回の「24時間テレビ」は放送された。大本となったのはアメリカの「レイバー・デイ・テレソン」だが、内容については72年にギャラクシー賞を受賞した「11PM」月曜日の企画「世界の福祉特集」の拡大版という位置づけだった。

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