聖徳太子は架空の人物?
アメリカの建国が独立宣言による「合衆国憲法」制定なら、日本の建国とは何だろう?
すぐに思い浮かぶのが、聖徳太子による「十七条憲法」の公布である。これをもって、日本という国の根幹ができたと考えるのが妥当だと思われる。
ところが最近、聖徳太子は架空の人物と言われている。歴史の教科書もこれを取り上げて、十七条憲法は太子の実績と断定できない、旧1万円札で有名な肖像画も「太子像」とする根拠がないなどという、歴史学のトピックを入れている。
しかし、そんなことより重要なのは、十七憲法が公布されたことは史実なのだから、その内容と公布に至った歴史をストーリーとして語ることだろう。
娘はハイスクールで日本史を詳しく学び、聖徳太子について、私に疑問をぶつけてきたことがある。
「プリンス・ショウトクの十七条憲法は漢文で書かれているけど、当時の日本人はみな漢文が書けたの?」
「そうだね。日本には文字がなかったから、当時の支配階級は漢文の読み書きができたんだね」
「そうすると、先生は中国人だね。プリンス・ショウトクも中国人だった可能性があるね」
十七条憲法は、教科書に載っているのを見ればわかるように、正確な漢文で書かれている。有名な第一条は、次のとおりだ。
《一曰 以和為貴 無忤為宗 人皆有黨 亦少達者 是以或不順君父 乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成》
もうひとつ、娘が疑問として挙げたのは、第一条の有名な冒頭部分「一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たふと)しと為し(なし)、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」は、「和」(ハーモニー)を最高の価値とする日本文化の象徴とされるが、なぜ、太子がこれを第一条に持ってきたかだ。
「こんなことを最初に書くということは、当時の日本では争いが絶えなかったということじゃないの? 大陸から来た渡来人と、縄文時代からいるネイティブ人としょっちゅう揉めていたからだと思う」
娘は英語をアメリカ人の先生から習った。また、学校では国を異にする生徒たちと一緒に学んだ。だから、自然にこういう発想が出てきたのだろう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら