日本人の成り立ちは、最近は、ミトコンドリアDNAの研究などから、かなり正確にわかるようになった。かつては日本人を単純に縄文人と弥生人とに分けていたが、DNA解析から「日本人は縄文人と弥生人との混血である」ことが明らかになっている。
つまり、日本人の血の中には、大陸系の民族の血が混じっているのだ。縄文人は日本がまだ大陸と陸続きだった1万年以上前に大陸から渡ってきた人々。その縄文人と、それ以後に中国本土と朝鮮半島から移住してきた弥生人や渡来人が混血して、日本人ができたわけだ。日本人の起源を説明する「混血説」は「二重構造説」とも呼ばれ、東京大学名誉教授の人類学者・埴原和郎氏により、1990年に提唱されている。
大和朝廷はこうした渡来人の王朝で、混血日本人はその支配下に置かれていたのであろう。その中で「日本人」「日本民族」というアイデンティティが形成されていったのだと考えられる。十七条憲法は、そういう過程でできた、日本最初の律令(法)である。これにより、法(ルール)の支配を根源とする国家が成立したのだろう。まさに、日本建国だ。
天皇陛下の「ゆかり発言」
ここで思い出されるのが、天皇陛下の「ゆかり発言」だ。2002年の日韓ワールドカップを前にして、陛下は次のように発言されている(朝日新聞 2001年12月23日より)。
《日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、いまも折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が日本の人々の熱意と、韓国の人々の友好的態度によって、日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王(せいめいおう)は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは、忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々がそれぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において、正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
ワールドカップが両国民の協力により、滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。》
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