確かに彼の言うことは的を射ている。
中国・韓国との関係が悪化し、国が急速に右傾化していく中で、若者たちの間でネトウヨや在特会のような過激な外国人排斥運動、人種差別運動が起こるのも、日本人が自分自身を見失っているからではないだろうか。
私は、「頑張る」という言葉があまり好きではない。東日本大震災以来、「頑張れ!」という言葉は、この国に氾濫している。もちろん、それ以前から日本人は、本当によく「頑張る」という言葉を使う。しかし、では「何のために頑張るのか?」と聞かれると、ほとんどの人が答えられないのではないだろうか?
昔、アメリカ人に「日本人はすぐに“頑張ってね”と言うが、あれはあいさつなのか?」と聞かれて、言葉に窮したことがある。あなたは、「何のために頑張って勉強しているのか?」「何のために頑張って働いているのか?」と聞かれて、すぐに答えられるだろうか。
自分自身を見失い、何のために生きているのかわからなければ、人生は“暗夜行路”だ。
これは、国家、民族も同じ。自国がどんな歴史を持っているのか、また、自分たちがどこから来たかを知らない国や民族は、決して自立できない。
残念ながら、これまでの日本の教育は、これをおざなりにしてきた。特に歴史教育は、国と民族にとって最も大事な点なのに、受験教育、ゆとり教育の中で、忘れ去られてきた。その結果、日本人は“国家観”を持てなくなってしまった。
現在、日本では、遅ればせながらグローバル教育が叫ばれるようになった。英語教育が見直され、大学入試、公務員試験にTOEFLが導入されようとしている。しかし、英語が話せても、日本を知らなければグローバル人材にはなれない。
アメリカ人の国家観は明確
私は一人娘を幼稚園からインターナショナルスクールに通わせたので、歴史教育にはとくに気を使った。もちろん、日本にいるから、日常的にテレビ、映画、ドラマ、書籍、漫画などを通して、日本の歴史は入ってくる。たとえば、歴史上の人物、聖徳太子、徳川家康など、また歴史上の出来事、大化の改新、江戸幕府などは、学校で教えてくれなくとも入ってくる。
しかし、それは単なる知識であって、歴史ではない。歴史は断片でなく「ストーリー」である。そう思っていたので、娘がミドルスクールになってからは、自分でノートを作り、時間があるときに娘に教えた。
アメリカ人の場合、国家観は明白だ。なぜなら、彼らには「建国のストーリー」があるからだ。アメリカは、祖国での弾圧を逃れ、メイフラワー号でやって来たピューリタンたちがつくった国である。したがって、建国の目的のひとつは、「信教の自由」である。
次に、ボストン茶会事件を経て独立戦争となり、1776年に独立宣言が採択される。これは英国植民地からの独立で、つまり「英国王権からの自由」である。つまり、アメリカは人々が「自由に生きられること」を目的としてつくられた国であり、このストーリーは現代でも変わらない。
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