空気麻酔にマウスを放り込み、気絶したマウスの頭部をはさみでチョキン。続いてサルの脳髄をすりつぶし、シャーレに入れて栄養素を与えたりもする。軽く昼食をとった後、献体されたホルマリン漬けの人体を、数ヶ月かけて隅々まで解剖する。数千回に上る地味で単調な実験の後、“細胞が成長する薬を発見する”のが6年間で最大の喜びであった。
米国東部の名門女子大学、ウェルズリー大学で生物化学を学んだ雅子(仮名)は、オルブライト、ヒラリーを輩出したハーバード女子大とも称される東部の名門大学で学部時代を過ごす。
議員、バンカーを父に持つ同級生は皆、ウォールストリートを目指した。しかし当時、生物化学を研究する雅子は、同級生と異なり、医療分野でのキャリアに興味を強く抱いていた。
スタンフォード、ハーバード医学部の途方も無い授業料を払う気がしない彼女は、日本人であることの利点を生かし(日本の国立大学の医学部は学費が極端に安い)、日本へ帰国。国立の医学部生としてキャンパスライフをすごすことにした。
ところが雅子が出会った日本の医学部の実態は、自身が狭いと感じたウェルズリーに輪を掛けて狭小な、“リスクをとらない同質学生”の集団であった。6年に及ぶ医療研修と、これまた地味な将棋サークルでの生活が過ぎた今、雅子がレジュメを送るのは、慈恵医大でも慶応病院でもなく、外資系戦略コンサルファームであった。
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