しかし、多くの企業はのれん分けをしたくてもできない、というのが本音です。その大きな理由に、自己資本比率が低いことがあります。資金を銀行から借りて運転しているのですが、のれん分けするというと、銀行はいい顔をしません。またのれん分けをしたい社員が見つからない、ということもあります。社員のままでいい、というのが大勢で、独立意欲のある人はのれん分けよりゼロからのスタートを選びます。
基本的に、実力があって元の会社が好きだという人間がいないと、のれん分けは難しいのです。また広告費、採用費用など、分母が大きいと効率化できる部分も、個々対応ではスケールメリットが働きません。多くのクリアすべきハードルがあるのです。
それでも、「社員に任せる」究極の形が、のれん分けである、という志村社長の信念は揺るぎません。苦しかった時代に残ってくれた6人の中から3人をリフォーム会社の社長に抜擢。その会社にお客様がすべて付いてきてくれること、そして部下が全員付いてくること、を条件にのれん分け経営を推進しました。
その結果、少人数、フラット型組織がさらに徹底され、仕入れ、原価計算、職人の手配なども各社ごとに見直して、生産性、利益率も向上したと言います。6月期決算では、各社黒字を確保する勢いです。
社長は月の半分がタイ暮らし
実はこの「のれん分け」にも、志村社長の深謀遠慮があります。当社は「キャンプ」と称して、年1回、微笑みの国・タイへの慰安旅行を実施していますが、志村社長自身、月の半分をそのタイで過ごしています。
これも、「のれん分け」経営で、権限を現場に移譲しているからこそできるのです。志村社長はまた、50歳でセミリタイアして悠々自適に暮らしたいと思っていますが、そこで問題となるのが、後継者のこと。無論息子さんも候補者ですが、そうすると60歳まで頑張らねばならず、それよりものれん分けという形で事業承継ができないか、と考えているのです。
最近、志村社長は持論の『任せる経営』という本を出版しましたが、その中で、あこがれの権藤元監督との対談が実現しました(対談DVD付き)。「権藤野球の精神をまねた帰結が『のれん分け』でした」と謙遜する志村社長に向かい、権藤さんは、プロになる前から稲尾和久投手の真似をしていたと告白します。「それでも、稲尾さんのようには投げられず、権藤の形でした。いくら私のスタイルをまねしたと言われても、出来上がったものはあくまで志村スタイルなんです。志村さんのまねは出色の出来栄えだと思いますよ」と励まされました。
思わず権藤さんの手を握った志村社長の全身からは、DeNAファンでよかった、という喜びがあふれているようでした。
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