「人たらし」豊臣秀吉のスゴすぎる人心掌握術 「上司、部下、敵を懐柔した」秘策はこれだ!
【5】「カネ」にものを言わせて大盤振る舞いする
秀吉は莫大な財力を武器に、「カネ」で人心を買うこともしています。
豊臣政権を支えていたのは、豊富な「金」と「銀」でした。彼は、佐渡や生野(兵庫県)、石見(島根県)といった主要な金山・銀山を直轄地にして、多大な収益をあげていたのです。
1589年、秀吉は京都に建てた聚楽第(じゅらくだい)で、自らが所有する金銀を皇族はじめ諸大名に分配します。
「弟の秀長には金3000両と銀2万両」「家康には金1000両と銀1万両」など、その総額は計36万5000両にのぼり、枚数にして「金4900枚、銀2万1100枚」。当時の金1両は、現在の価値に直すと数万〜数十万円ともいわれます。まさに大盤振る舞いでした。
「恐怖で人を支配した信長」は身を滅ぼした
秀吉は後年、かつての主君だった信長についてこう評します。
「信長という人は勇将であったが、良将ではなかった。彼は剛が柔に克つことを知っていても、柔が剛を制することを知らなかった」
「敵味方を問わず、つねに“恐怖”で人を支配する」という信長の方針を評して、秀吉は「それこそが敵を増やし、ついには味方の裏切りで自らを滅ぼす要因となったのだ」と断じ、リーダーに必要な「人の心をつかむ」大切さを説きました。
「人たらし」と聞くと、なんとなくマイナスのイメージを抱いてしまいますが、こうした資質を兼ね備えた秀吉だからこそ「信長以上の偉業」を成し遂げられたのもまた事実です。
今回解説したように、日本史の知識は「教養」になると同時に「社会を生き抜く処世術」にも応用できるものです。
「恐怖で人を支配しよう」とした信長は身を滅ぼし、人心掌握術に長けた秀吉は「日本史上、類を見ないほどの大出世」を遂げました。多くの偉人たちが歴史に刻み込んだ成功例や失敗例には、ビジネスマンが組織や社会で生き抜くための「教訓」が豊富に詰まっています。
何より歴史を学ぶことは「楽しい」ものです。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、坂本龍馬、誰でも構いません。自分が好きな偉人をよく深く知り、その知識を「生きる知恵」に変えていってみてください。
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