「人たらし」豊臣秀吉のスゴすぎる人心掌握術 「上司、部下、敵を懐柔した」秘策はこれだ!

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

「太閤」秀吉ってどんな人?

Q1. 豊臣秀吉はどんな人物ですか?

戦国時代の武将です。1537(天文6)年、尾張国(愛知県西部)に生まれ、18歳ごろから織田信長に仕えます。

最初の身分は低く、まったく無名の存在でしたが、次第に頭角をあらわして次々と功績をあげ、やがて信長の重臣となりました。1582年に「本能寺の変」で信長が倒れると、その後継者となって天下統一を果たします。

その後、大陸(中国)の征服をもくろみますが、その途中の1598(慶長3)年、62歳で死去しました。

Q2. 「太閤」って何ですか?

摂政や関白の位を譲った人を「太閤」と呼びます。

1585年に関白に就任した秀吉は、1591年に甥の秀次にその職を譲り、「太閤」と呼ばれるようになりました。

いまは「太閤」といえば、すっかり「秀吉」の代名詞となっていますが、たとえば平安時代の貴族「藤原道長」のことを「太閤」と記した記録もあり、日本の歴史上「太閤」と呼ばれた人は、ほかにも多く存在します。

Q3. 秀吉が天下を取れた「秘訣」は何ですか?

最大の要因は「人の心をつかむ才能」でしょう。

かつての主君で、天下統一への道半ばで倒れた織田信長とのいちばんの違いは、互いに同じく「優れた軍略家」でありながら、信長は配下の明智光秀に恨まれて「本能寺の変」で滅ぼされたのに対して、秀吉は「人心掌握術」に長けた「人たらし」で、周囲の人にも慕われていたことです。

「秀吉は“人たらし”の才能を武器に、天下をつかんだ」と言っても過言ではないでしょう。

Q4. なぜ秀吉は「人たらし」になったのですか?

自身の性格もあるでしょうが、低い身分からの「叩き上げ」で出世した彼には自前の家臣団がなかったため、多くの「優秀な人材を登用」する必要があったことも大きな理由でしょう。

この才能は戦いの場でも発揮され、無闇に戦火を交えずに、相手を「味方に組み込む」ことで、無用な犠牲を出さずに勢力を拡大していきました。

「人たらし」たるために、秀吉には人材の「財や材」を読む力があったようです。たとえば、竹中半兵衛、黒田官兵衛、石田三成などを家臣として登用するときの「人の材を見抜く力」は、上に立つ人物の必須条件といえるでしょう。

次ページこれが秀吉流「人たらし」の極意
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