日本一“ハンサム”な、最年少イクメン知事 新世代リーダー 鈴木英敬 三重県知事

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入省後は、身を粉にして働いた。構造改革特区の設計や普及、さらにはエンジェル税制、1円起業など中小・ベンチャー企業の支援制度づくりなどに汗を流す。さほど機能しなかった制度もあるが、06年からは第1次安倍内閣で官邸スタッフにもなった。約10年で官僚生活に終止符を打ち、政界に打って出ることに決めたのは、民主党政権(2009年9月~12年12月)になる前の自民党政権の末期だ。

「政治家とは政策や法律を作るのが仕事。だが、その仕事を官僚に丸投げしていた。一方で“日本を変えたい”という政治家がいても、官僚が足を引っ張る光景を何度も見てきた。この時期はそれが極まった」。どうするか。足を引っ張らないような優れた改革派の官僚として生き残るか。それとも、丸投げしない政治家になるか。鈴木が選んだのは、社会を少しでも早く変えることができる、後者だった。

人生を変えた落選

2009年秋、鈴木は衆議院選挙に自民党公認で三重2区から出馬するが、落選する(11年4月の知事選前に自民党を離党。現在は無所属)。三重は祖父の本籍地だが、2区には同級生も親戚もおらず、落下傘候補だった。だが、鈴木の今後を考えると、ここが2つの意味で大きな分岐点となった可能性が高い。民主党から出馬しなかったことと、落選を糧に、大きく成長したことだ。

当時、「勝ち馬に乗れ」とばかりに、民主党から立候補した官僚が多くいる。もちろん、中には、民主党政権下で貴重な経験を積んだ者もいる。だが、大半は消化不良のまま、昨年12月の衆院選で落選した。その点、鈴木は自民党から出馬し、落選した。民主党の基盤がある三重県なのに、同党から出馬しなかった。当時の政治力学もあるが、嗅覚がそうさせたのか。また落選は「なぜ負けたのか。官僚上がりで上から目線になっていたのではないか。自らの足を使った運動が足りなかった」と猛省するきっかけになった。

基本に立ち返った鈴木に、三重県知事選の話が舞い込むのに、さほど時間はかからなかった。マニフェストで名を馳せた北川正恭知事(1995~2003年、現早稲田大学大学院教授)の後を継いだ野呂昭彦知事が2期目、家族の不祥事で基盤が揺らいだことをきっかけに、三重の政局は流動化。大震災直後の4月に行われた知事選を大接戦の末、制したのだ。36歳での全国最年少知事誕生の瞬間だった。

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