シャープはどこで間違えたのか 栄光と挫折の10年

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シャープはどこで間違えたのか、栄光と挫折の10年--好調時の振る舞いがアダに

ほんの1年前まで優良企業と目されていたシャープ。なぜ崖っ縁に追い込まれたのか。

「2000年代はシャープにとって夢だった」。シャープ関係者の多くはそう振り返る。確かに、家電メーカーの中位だったシャープは00年以降、トップメーカーに躍り出た。

原動力となったのが液晶だ。

1998年、町田勝彦社長(当時)は「ブラウン管テレビをすべて液晶テレビに置き換える」と宣言。00年初には、「20世紀に、置いてゆくもの。21世紀に、持ってゆくもの。」という広告で革新的な企業イメージを確立。液晶テレビ「アクオス」で国内首位を獲得した。

経営陣は、積極果敢な投資を矢継ぎ早に行った。00年代半ばまでに三重第2、第3工場(三重県多気郡)、亀山第1、第2工場(三重県亀山市)と8000億円超をテレビ用液晶パネルの生産ラインに投じた。

その象徴が、04年1月に稼働した亀山第1工場である。産地名がブランド化した「世界の亀山」は、“日本のモノづくり”のモデルとされ、マスコミなどからもてはやされた。

液晶パネルから液晶テレビまで一貫生産する戦略が当たり、業績は急拡大。08年3月期には過去最高となる売上高3兆4177億円、純利益1019億円を計上した。だが、その挑戦は身の丈を超えていた。

フリーキャッシュフローは、営業益が過去最高を更新した07年3月期もマイナスだった。純利益が拡大していた00年代前半も一貫して純資産比率が低下していることから、莫大な投資がシャープの財務体質を悪化させていたことがわかる。

 

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