日本人はどこから来て、どこに向かうのか

グローバルエリート、国家観を語る

国際色豊かな古代日本の文化的ルーツ

文化的にも古来より日本は非常に国際的であった。日本には中国や朝鮮で王朝の交代があるたびに、大量の移民が流れてきた。東アジア各国からの渡来人が古代文明や稲作を伝えたことは小学校でも習ったと思うが、特に古代朝鮮王朝の新羅が勢力を増したときに、高句麗や百済の政治亡命者が大和朝廷内部をはじめ日本各地に移住した。日本各地に百済や高麗と名のつく地名があるが、明治時代や戦前に国策で随分消されたが、それでも名残がたくさんある。

あまり学校では具体的に習わないが、著名な蘇我氏や桓武天皇のルーツは有名な話だ(別に私が何かを断定して言っているわけでなく、諸説の有力なひとつを紹介しているだけだとただし書きをつけておく)。

歴史的事実というより政治信条からあーやこーや言う人が多い話題なのだが、揺るぎない事実としては、昔から東アジアでは多様な民族が豊かに交流していたということである。

そして鑑真やら中国の偉いお坊さんが渡って来て、日本からも遣隋使なり遣唐使なりが中国に向かい、大陸文化が流入してきた。たとえば、漢字、仏教、律令制、コメ作り、文字など豊かな文化交流が文明の土台となっており、当時の日本が東アジア各国と密接な結び付きがあったことがわかる。

白村江の戦いの後の独自文化発達

マニアックな話をして恐縮だが、白村江の戦いの後(朝廷間で密接な関係のあった百済と組んで唐・新羅と闘い敗れた)、百済と組んで戦った倭(政府高官に百済出身者も多かったとされる)としては、当然、新羅や唐と外交関係が断絶し、平安時代の頃から文化的独自色が強まっていく。この頃からひらがなも作られ、紫式部などが日本文学の礎を築くことになる。大陸との交流が比較的希薄になる代わり、さまざまな独自文化が発達していくことになる。

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