凡人でも、コツをつかめば天才になれる 名コーチ、高橋慶彦の天才論

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「臆病者」だから、大選手になれる

現役時代に5度のベストナインに輝き、79年には日本シリーズのMVPに選出された高橋だが、城西高校から74年にドラフト3位で入団した頃は「下手だった」と振り返る。

そんな高橋が大選手になることができた理由は、「臆病者」だからだった。

「下手はうまくなるんだよね。僕らみたいな世界では、自信家より臆病者のほうが成功すると思う。臆病者って、毎日怖いじゃないですか。僕もそうだったけど、プロに入って1年でクビになると思っていた。周りの選手はみんな、マシーンで打ったら10球のうち7、8球はバットの芯でいい当たりを飛ばしていたからね。でも、僕はボールに当たらなくてさ。一応、高校では4番を打っていたんだけど、プロのレベルはまったく違った。それで、『クビになってもまあ、いいわ』と思って。どうせクビになるんだったら、それまで精いっぱいやろうっていう気持ちだったね」

高校時代に右打ちの投手だった高橋は、プロ入り後、ショートに転向する。当初はノックのゴロをはじいてばかりで、外野に回された。しかし数年後、監督の古葉竹識は周囲の反対を押し切り、高橋に再びショートを守らせる。当時の外野には山本浩二、水谷実雄、ジム・ライトルと実力者がひしめき、ショートのほうがレギュラー奪取の可能性が高かったからだ。高橋はあえて小さいグローブや、板のような形状のグローブを使って守備練習を繰り返した。そうしてコツをつかみ、球界を代表するショートになった。

ポジションを変えたばかりではない。プロ入り4年目の78年には両打ちに挑戦した。俊足を活かすため、監督の古葉に命じられた。「足はあるけど、このまま右打ちなら、代走か守備固めの選手で終わってしまう」と古葉は考え、何とか高橋を活かす術を探した結果だった。

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