徳川家康は「日本人に嫌われる性格」の典型だ 「スゴい成功者」なのに…理由は4つあります

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【理由4】目的のためには手段を選ばず、それで成功した「しぶとさ」

家康が嫌われる最大の理由は、天下統一を果たし幕府を開くという「大偉業」を成し遂げたことに対する「嫉妬」でしょう。

【理由1~3】でも述べてきたとおり、家康の行動基準は「つねに自分が生き残る」ことです。

そのためには、「義理人情」どころか「恥や外聞」もかなぐり捨ててズル賢く世渡りを続け、自分だけが最後まで生き抜くことを「しぶとく」追求し続けました。そして、ライバルの誰よりも「しぶとく」長生き(75歳)しました。

そもそも私たち日本人は元来、成功者に対して、「や」っかみ、「ね」たみ、「そ」ねみを抱く、いわば「ヤマト」ならぬ「ヤネソ」民族です。

そのため、「目的のためには手段を選ばず、結果として目的を達成した」家康に対して、私たちはその偉大な業績には尊敬の念を抱きつつも、同時に強い「嫉妬心」や「単純に好きになれない複雑な気持ち」にかられてしまうのでしょう。

家康は「日本史」を徹底的に学んでいた

家康が「嫌われる理由」をさまざまな観点からみてきましたが、彼が偉大な「成功者」であることは揺るぎない事実です。

生涯にわたって「質素倹約」を旨とした家康。彼の残した莫大な遺産は、彼が心血を注いで築いた磐石な幕藩体制とともに、その後250年以上にわたる長い「平和の礎」となりました。

その結果、江戸時代の日本は、現在もなお世界に誇れるような高度な独自文化の宝庫となりました。「家康がいなければ、今の日本はなかった」と言っても過言ではありません。

また、「家康ほど日本史をしっかり学んだ武将は珍しい」ということも意外に知られていないかもしれません。

家康は「武家政権の祖」である源頼朝を信奉するなど歴史に造詣が深く、その死に際して、遺言として孫らに「歴史書」を形見分けしたことは有名なエピソードです。こうした彼の姿勢に触発された孫のひとり、「水戸黄門」こと徳川光圀(みつくに)は、長大な歴史書『大日本史』の編纂に生涯を捧げました。

家康が天下をとった最大の理由のひとつは「歴史」を学んでいたことです。たとえ誰かに妬まれようと、家康のように大きな成功を勝ち取るためには、歴史を学んで過去の事例に目を向け、そこから糧を得ることも大切です。

今回紹介したように、日本史には、現代人がビジネスパーソンとして生きるための「処世術」が満載です。人間の本質は、時代が変わっても、それほど大きく変わるものではありません。

ぜひ、家康が歴史を学んで「成功」を収めたように、日本史を学び直すことで毎日を生き延びる「知恵」を身につけてください。

山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師

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やまぎし りょうじ / Ryoji Yamagishi

昭和女子大学講師、東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師、習志野市文化財審議会会長。1951年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は日本考古学。日本考古学協会全国理事を長年、務める。NHKラジオ「教養日本史・原始編」、NHKテレビ「週刊ブックレビュー」、日本テレビ「世界一受けたい授業」出演や全国での講演等で考古学の啓蒙に努め、近年は地元習志野市に縁の「日本騎兵の父・秋山好古大将」関係の講演も多い。『新版 入門者のための考古学教室』『日本考古学の現在』(共に、同成社)、『日曜日の考古学』(東京堂出版)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)など多数の著書がある。

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