(第6回)ヒット曲『勝手にしやがれ』の「やせ我慢」分析
●70年代は“女の時代”だった
思えば70年代とは、明らかに"女の時代"の幕開けだった。
フェミニズム運動の前身として、「性差別への告発」をスローガンに、ウーマンリブの第1回大会が開催されたのが1970年。「未婚の母」が公然とカミングアウトする一方で、渥美清の演じるフーテンの寅さんの「男はつらいよ」が流行語になる。
長い男性受難の時代が、始まろうとしていた。
時代を読む阿久悠は、明快にこう語っている。
「日本の男に関していえば、70年代に「男」になるチャンスを逃したと思う。あの時代の、あの分岐点というのが確かにあった。しかし、その分岐点で男たちはしくじった」(同前)
そこで寅さん(渥美清)や、健さん(高倉健)が、実は同時代的にもはやあり得ない、両極端な男の美学を虚構的に演じて、斜陽の映画界のスターとなる。
彼らが演じたのは、堅気(かたぎ)の生活者からほど遠い、一所不在の香具師(やし)であり渡世人であった。その両極端なキャラクターに共通するのは、モテているのに絶対に女に手を出さない、あるいは出せない孤独な独身者である。
いわば彼らは、この時代ならではの裏返しのフェミニストだったのだ。女性に対する優しさが、不器用さとしてしか現れない、その非攻撃性において。
テレビでは、ジュリーこと沢田研二が、「虚構の世界の水先案内人」として、やはりあり得ないキャラクターを演じていた。
阿久悠は、「男の価値のデフレ現象がとどまるところを知らない」時代に、この「けだるさを秘めた退廃美」を漂わすタレントに、やせ我慢を売る男というキャラクターを与えた。女の時代に、あえて「男」を売りにするという戦略において、それは寅さんや健さんよりもさらに特殊な、期間限定の"商品"だったのだ。
●チャンドラー、ヘミングウェイ後の「ダンディズム」とは
ハンフリー・ボガードへのオマージュと明言する、70年代の終わりの『カサブランカ・ダンディー』は、その最後の輝きだった。
ここでのオマージュは、「讃歌」というより、「男らしさ」がそのままで"売り"になった、ボギーの時代への「挽歌」とも言える。
「男のある種のダンディズム、崩れたダンディズム、滅び行くもののダンディズムは僕の好みでもあった。男が美しいときなんて、それ以外にはないと思っている。(中略)美意識につながる男のタイプは多分、チャンドラーとへミングウェイで終わっていて、男の意識はそこから先の新しさはないと思っている。美意識にこだわるのなら、ここまでこだわって書いてみたいと思って書いた曲だった」(同前)
私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を、阿久悠は好んだ。
その世界は、心理描写により「自我」の葛藤を描く純文学調を排し、ドライな文体で読者を乾いたアメリカ西海岸の風土に誘い込む、周到なダンディズムに貫かれていた。その美意識の結晶が、「タフでなければ生きられない。優しくなければ生きている資格がない」(『プレイバック』)という決め台詞である。
チャンドラーの前には、へミングウェイというマッチョタイプの作家がいた。
彼は思い悩む主人公の心理ではなく、その具体的な行為を丹念に書き込み、「自我」に凝り固まった文学に風穴をあけた。
いずれにせよ、正攻法による男の美意識の追究は、彼らの小説で終わったのだ。
残されているのは、自覚的なそのパロディとしての、屈折したダンディズムだけである。