私がさまざまな職場で働いてきて痛感するのが、会議やプレゼン、企画書といった、一見「小さな仕事」に見える「資料作り」において、細部の完璧さを究める者だけが一流の高みを目指せるということである。
細部の完璧さを究める人だけが、一流の高みを目指せる
ある日、私の作った資料を見た上司が、定規を取り出して「会社のロゴマークが1ミリずれているよ」と怒ったことがある。さすがの私もあきれて「そんなこと、誰が気にするんですか?」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「どこの競合他社も、提案内容自体にはそれほど大きな差はないんだ。だからこそ、『小さなミス』で客の注意を引きたくない。中身より資料の美しさが勝負の要なんだ」
そして実際、極めて高いレベルの人材が争っている中では、「それくらい、ええやないか……」という「資料の僅差のこだわり」が勝敗を分けることも多いのだ。
「神は細部に宿る」という言葉をよく聞くが、一流の人ほど、「小さなミスに対する恥じらいの気持ち」が強い。
これに対し、仕事のできない人に限って、資料にミスがあろうと「このくらい、ええじゃないか」とおおらかに構え、まるで江戸末期に起こった「ええじゃないか祭り」が始まる。
どんなにミスをしてもこちらがビックリするほど、「ええじゃないか、ええじゃないか」と、それはそれはおおらかに自分を許しまくるのだ。
これに対し、一流の人ほど、上司からのチェックで句読点ひとつ、フォントひとつ、グラフを少し手直しされることに大いに羞恥心を感じ、完全な資料がつくれなかった自分を叱責するのである。
「ほかの担当者がつくったパートよりも飛び切り出来がいいものをつくろう」と仕事ひとつひとつに対する目線がことごとく高く、「上司が期待する以上の工夫」をして、「上司が期待するよりもはるかに早く」仕上げてもっていく。
凡人と一流を分ける差は「小さなミスに大きな羞恥心を感じられるか」どうかといっても過言ではない。
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