日本のエネルギー問題は「地形」で解ける ダムは先人の犠牲の上に立つ「人工の油田」だ
しかし現代では、多くの人々の犠牲を前提にした巨大ダム、自然環境に大きなインパクトを与える巨大ダムを造るのは難しい。世界的にも同じことが言えるであろう。
だからこそ、過去の大きな遺産として全国いたるところにダムを持っている日本は、水力エネルギーという意味では、例外といっていいほど恵まれた国だと思うのである。
だが、この財産は決して、ただの幸運ではないのだ。私たちの先人が、すでに大きな犠牲を払ってくれていたからこそ、こうした巨大なエネルギー資産がある。この資産は、前回述べたように、半永久的に使用することができる。だからこそ、この遺産を無駄にするのは「もったいない」と私には思われてならないのだ。
日本全国がダムの恩恵を受けられる
日本列島はとても狭い。しかも、その7割が山地で、日本列島の真ん中には脊梁山脈がずっと走っている。平野部はわずか3割に過ぎず、そこは洪水の恐れのある湿地帯となっている。日本人は洪水と戦いながら、住宅地、農地や工業用地などの土地を確保するのにも大変に苦労してきた。
だが、視点を水力エネルギーという面に移して、同じ日本列島を眺めてみると、まったく違う風景が見えてくる。日本列島を縦断している脊梁山脈は、その両脇にあたる日本海側にも太平洋側にもほぼ平等に川を流す結果となっている。そして、その川の流域には狭い沖積平野があり、ほぼすべてに都市が形成されている。そして、川には、近代から高度成長期を中心に建設されてきたダムが、これも全国的にほぼまんべんなく存在している。
つまり、日本全国のすべての都市には川が流れており、しかも、上流にダムを備えていることになるのだ。言い換えれば、このダムのすべてを水力発電に生かすことで、水力の恩恵を、日本全国各地が公平に満遍なく受けることが可能となっているのだ。日本列島は水のエネルギー列島である、と言い切れる理由がここにある。
日本列島は水のエネルギー列島と言いながら、その制約もある。全国に多数ある水力発電所のほとんどは、それほど巨大なものではなく、規模が中小である。もちろんこの中小水力発電所では、東京や大阪など巨大都市の電力需要を賄えきれない。大都市を維持していくためには、どうしても発電出力の大きい発電所が必要となる。
つまり、東京や大阪、名古屋などの大都市圏は、水力発電だけでは無理がある。かつてのように再び、黒部ダム級の巨大ダムを建設して大都市圏に電力を送るという手法は、これまで述べてきたように無理である。大都市は火力発電などほかの電力供給に支えられていかざるをえない。
しかし、全国各地の中小都市に向けた電力としては、水力発電はうってつけだ。電力需要が小さいので、その都市を流れる川のダムからの電力でかなりの部分が賄えてしまう。また、地元の川で生まれる電力なので、送電距離が短くなり送電のロスが少ない。しかも水力発電は、24時間安定して発電していくことが可能である。いま話題の水素エネルギー、燃料電池などと組み合わせていくことも容易である。
これからの時代、地方の都市は、川の水力による電力を中心として、風力や太陽光、地熱など、その都市に合った再生可能型の電力を活かす道を模索することになるであろう。
世界的にも人類文明のエネルギーは、再生可能エネルギーへとシフトしてゆく。全国に山があり川があり、そしてダムがあるゆえに、無限に国産エネルギーの水力電力をタダで確保できる幸福を、50年後、100年後の日本人たちは、必ず、感じることとなる。
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