コンペの結果は、145チーム中、67位といま一つだったが、3日間に及ぶコンペを終え、先生と打ち上げをやることになった。落ち込んでいた学生を励ますかのように、シャンさんは言った。
「結果は残念だったけれど、戦略はすばらしかったと思う。設定ミスさえなければ、必ずトップ10に入っていたはずだ。それに、世界の製造業を担う国から来ている君たちが、それぞれ知恵を出し合ったんだから、最高のチームだったと思うよ」
ひとしきり、学生たちを励ますと、シャンさんは、ちょっと心配そうに「この1年間はどうだった?苦労したことは? 」と質問してきた。
全員、口をそろえて「英語のコミュニケーションで相当苦労しました」と言うと、シャンさんは、自分がどれだけ努力して、人気教授の地位に上り詰めたか、身の上話を始めた。
シャンさんは20代でアメリカにMBA留学するまで、ずっと台湾で暮らしていた。カリフォルニア大学アーバイン校で博士号を取得した後、大学講師としてアメリカに残ることになったが、最初の赴任地、デューク大学での講義は最悪なものだったという。
英語があまりにも下手だったために、学生から最低点の評価をつけられ、解雇寸前に追い込まれたのだ。
シャンさんは、そのとき手掛けていたあらゆる研究をストップし、6カ月間、ひたすら英語で授業の予行演習をしたのだという。デュークのクラスは、2時間の授業が12コマ分。合計24時間分の授業を全部セリフにして、覚えたのだそうだ。想定問答や冗談まで、全部セリフにしたという。
セリフはネイティブにチェックしてもらい、奥さんを相手に想定問答の特訓まで行った。そして、6カ月後に始まったオペレーションの授業で、学生からトップランクの評価を得たという。クビ寸前からの大復活だった。
シャンさんは、言う。
「君たちは英語に限らず、この先、多くの困難に直面すると思う。そんなときは、ひとつのことにフォーカスし、謙虚に、『これでもか』というほどストイックに、努力しなさい。そうすれば必ず道が開けるよ」
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