「アメ車」がムダに大きいワケではない理由 思わず人に話したくなる薀蓄100章

✎ 1〜 ✎ 45 ✎ 46 ✎ 47 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
都立六郷工科高校に保存されているフォードA型。“円タク”と呼ばれたタクシーなどに活用された(撮影:梅谷秀司)

21. 当初はタクシーなどの営業車市場が中心だったが、のちに日本の富裕層向け自家用車も生産するようになる

22. しかし第二次世界大戦が勃発。米国内外で多くの男性労働者が戦場に赴き新型車の開発・販売もストップした

23. 戦後の混乱が落ち着き、アメリカ車が黄金期を迎えるのは1950年代に入ってからである

24. その象徴ともいえるのが「1959年式キャデラック」の車体後部にある尾翼のようなテールフィンだ

25. 戦後アメリカ車は国内の発展とともに車体サイズが大きくなっていくが、このテールフィンは史上最大級

26. 当時、米・ソによる宇宙時代に向け、注目されていた「ロケット」を意識したデザインだったともいわれる

27. 黄金期のアイコン=’59年式キャデラックは、のちに米国の「自動車生誕100周年記念切手」にも採用された

28. その一方で、米国内では自動車メーカーの淘汰も進み「パッカード」「ハドソン」などの老舗企業が消滅

29. 「ビッグ3」と呼ばれるフォード、ゼネラルモータース(GM)、クライスラーに吸収されることとなった

オイルショック到来

30. ところが1970年代に入ると、二度のオイルショックをきっかけにアメリカ車人気は一気に翳りをみせる

31. 最大8000㏄にまで達していた排気量はダウン。また公害問題によってエンジン出力も制限されてしまう

32. さらには、それまで相手にもならなかった日本車が経済性と高品質を売り物に米国自動車市場に登場

33. 生産力で遅れをとっていた欧州車もコンパクトさを武器に市場参入すると、アメリカ車は窮地に立たされた

34. 市場トレンドの急変に対応しきれなかった米国メーカーは収益が激減。クライスラーは経営危機に陥る

35. それでも賃金を下げることができなかった各メーカーは、車にかかる製造コストを削って利益を確保する

36. その結果、アメリカ車は「品質の低下」を招くこととなり、故障を頻発するようになってしまう

37. 人気の日欧車を意識したコンパクト化の動きもあったが、コンポーネンツを極端に共通化したことで失敗

38. またブランド性を無視した共通化によってブランドにふさわしくない車も生まれ、さらに人気を失なっていく

39. 日本では戦前からフォード工場があったことや進駐軍の影響もあり、「外車」といえばアメリカ車だった

40. しかし’70~’80年代にアメリカ車が暗黒期を迎えると、日本における外車人気もドイツ等の欧州車に移行する

次ページ低公害と高出力の両立
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事