思い返せばそのときの私の思いは、「会社を救うために、あるいは福島に貢献するために何としてもやってやる」という勇ましい前向きな思いではありませんでした。
私にあったのは「今この状況にある自分にはもはや逃げ出す選択肢も、やらない選択肢もない。消去法的には腹をくくってやるしかない」という何ともいえない悲壮感です。自分の周囲のメンバーや社長を見て平常心である様子に感銘を受け、そして一方の自分は平静を装いながらも腹の中は逃げ出したい情けない気持ちも少なからずあり、そのような葛藤の中で必死にジタバタしながら仕事をしていたように思います。
失敗が怖いからジタバタするのではない
私は一事が万事この調子なのですが、そんな自分でも1つだけ指摘しておきたいのは、企業再生で必要と感じる「ジタバタ感」は、失敗を恐れるとか、チャレンジはしないというのとは違うようにも思います。むしろ逆といってもよいかもしれません。
まず、失敗が怖いからジタバタするのかというとそうではなく、どちらかというとリスクをテイクしたうえで実行することが前提にあり、だからこそ失敗を最小化する方法をできる限り考えているような気がします。だからこそ相当慎重に、つまりジタバタする必要も出てきます。
また、チャレンジしないというのとも少し違います。なぜならチャレンジしないで安全運転する場合には、当然ジタバタする必要自体がないわけです。だからチャレンジとジタバタ感はつねに同時に存在するような気もします。
企業再生においては、現状の組織のポテンシャルを超えたある程度のストレッチ(チャレンジ)が時として求められるため、いくつかの局面で「言っていることはわかるが、実現するのは難しい(だから無理だ)」という趣旨のことを言われることがあります。
もちろん自分の提案力の未熟さゆえに共感してもらえないこともあるでしょうが、でもそんなとき私は逆にこうも言いたくなります。「簡単なことだけやって成功した人や会社が、今までに1つでもあるのか」と。
実現可能なことは皆やれるから(競合がひしめき)成功にはつながりにくく、成功につながりそうなことは皆できないと思っていてこれも成功につながりにくい。言うまでもなくどちらも当たり前です。
でも難しくてほかがやらないことは競争が少ないはずで、だとすると難しい事こそ、実は逆に成功確率が高いとは言えないでしょうか。だからこそ、「ジタバタと」考え抜いて少しでも成功に近づこうとすることが意味を持つのだと思います。
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