コンサルティング業界に入り今に近い仕事をやり始めた頃、自分が評価されていたのは、レポートでの誤字脱字が少ないとか、エクセル分析でのケアレスミスが少ないとかその手のことでした。能力について褒められた記憶は正直あまりありません。
当時の私は、自分の仕事の完成度がつねに不安で、最後までジタバタして何度も見直していたわけで、すなわち「できるかできないか(能力)」ではなく「やるかやらないか(意志と気合い)」でどうにか評価が保てていたようにも思います。
その後見習いのアソシエイトポジションからコンサルタントポジションになり、さらにどうにかプロマネポジションにもなり、そのころまでには仕事の範囲もだいぶ変わりました。
でも考えることは一緒で、プロジェクトマネージャーとしてプロジェクトを采配していても、同じようにプロジェクト報告日の前日や当日にこの論点は正しいのか、分析に漏れはないかということは、いつもうじうじと悩みジタバタしていました。
ある意味あまり誇れない過去をここまでつづってきましたが、要するにつまるところ、私はあまり仕事を前向きな気持ちでやったことがないのかもしれません。もっというと、コンサル時代は「やらなければ自分が組織の中で生き残れない」、今の仕事では「やらなければ会社が潰れる」という危機感にも似た思いに駆り立てられていたような気がします。
大震災の修羅場で抱いた思い
一昨年の痛恨の大震災のときもそうでした。福島にある当社グループの旅行代理店の旅行はすべてキャンセル。ノーチャージ(手数料なし)で払い戻しをしました。当社の高速バスが走行する高速道路は、しばらくの間緊急車両しか通れず、収支のめどがつかず。市内を走る当社のタクシーは震災の影響で電話は一時的に不通。「流し」が少ない地域特性の中で致命的な影響を一時的ながら受けました。
そして何より燃料不足が深刻で、残りの自社タンクの燃料から逆算した中で、バスがあと何日走るかのカウントダウンが始まりました。さらには外部環境的には、再生の起爆剤として期待していた福島に関係する各種キャンペーンはすべて中止となりました。
仕事に限らず身の回りの生活も同様で、当時私が宿泊していた会津若松市内のビジネスホテルでも、エレベーターは暫くの間停止し、燃料が必要なクリーニングはストップ。当然のようにお湯も出なくなる。朝食は日に日に内容が乏しくなり、数日後に休止が決定。
震災から明けた週初めに本社会議室のホワイトボードに地図を張り出し、原発からコンパスで円周を引いて自分のいる場所、当社の営業範囲が何キロ圏内かを確認したシーンは、今でも鮮明に記憶に残っています。
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