「いいね至上主義」の評判社会は、暴走をする 共感や道徳感情が牙をむくメカニズムとは?
良い行動をしたものには報酬を当て、悪い行動をしたものには罰を与える。この人間の本性こそが、喜びや悲しみの原因を理解しようする気持ちを生み出し、因果関係の推論を実行するために共感という能力が備わったと説明されている。つまり共感には、優しさの側面と厳しさの側面が存在するのだ。
著者は、少年犯罪データベースというサイトを主宰する人物。このサイトを少し見ただけで著者のただならぬ雰囲気は伝わってくると思う。スゴイのは、これだけの蒐集活動を行いながら、個々の事件そのものにはそれほど興味がないように感じられるところだ。特定の目的持たずに、機械的にプロファイルし続けているからこそ、思い込みや認知バイアスの罠から逃れられているのかもしれない。
因果を見出さないと落ち着かない人間の本性
個人としての自分と、集団の中での自分。二つの「自分」が捻転迷宮のように絡み合い、人間の業を形成する。人気商売の代名詞ともいえるタレント、投票によって選ばれる政治家、好感度に売り上げが大きく左右されるようになった企業活動。さまざまな不祥事が世間を賑わす昨今であるが、過ちを犯してしまった気持ちも、過ちを犯したものを罰したいと思う気持ちも、同じ道徳感情から発していると自覚することが第一歩だ。
そして二つの「自分」の間には情報格差があるため、因果関係の推論にはどうしても錯誤が入り混じる。因果を見出さないと落ち着かない人間の本性が、単純な因果関係をでっち上げてしまい、しかもそこから逃れることには困難を伴うのだ。
我々は進化の必然として、認識を歪ませるようなメガネをかけた状態こそがデフォルトになってしまったのかもしれない。それゆえ、誰もが過ちを犯しがちである。だがその過ちを罰する過程の中で、さらに過ちを犯してしまっては、永遠に迷宮から抜け出すことは難しい。
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