「いいね至上主義」の評判社会は、暴走をする 共感や道徳感情が牙をむくメカニズムとは?

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しかしこの事件には、伏線があった。その数年前に起き、史上最大の少年犯罪事件とも呼ばれた浜松事件である。この事件において、真犯人が見つかるタイミングに偶然居合わせたのが紅林刑事。彼を大人の事情から表彰し、名刑事と持ち上げたことから二俣事件の冤罪が生まれ、その影響は今なお静岡県において冤罪事件が多いという事実にまで連なっていく。

共感は人を罰するために生まれてきたのか?

紅林捜査の特徴は、一連のストーリーを創り上げてから被疑者に自供させるという手の込んだものであった。二俣事件で争点になっていたのが、12時2分を指したまま止まっていた被害者宅の柱時計である。紅林刑事は、少年にアリバイ工作のために時計の針を回したと自供させ、さらに探偵小説にヒントを得たとまで言わせたという。

この冤罪事件のポイントとして著者は、紅林刑事が共感能力の高く、善人であったからこそ引き起こされたものと説明する。部下思いで誰にでも気配りのできる共感能力の高い名刑事が、マスコミにも注目される大事件で一カ月以上も犯人を挙げることができず、非難を浴び続けたらどうなるのか。

出来上がってしまった虚像に対して、実像を合わせようとするのは、ある意味必然だったのかもしれない。つまるところ紅林刑事は、アダム・スミスが言うところの、世間の評判の奴隷となる「弱い人」であったのだ。

一方で、自供してしまった側も共感の罠に陥ってしまった様子が伺える。冤罪に問われた人間の苦しみは、過酷な刑罰ではなく、自分の言うことが信じてもらえなくなる点にあるのだという。これまで築き上げた「評判」をすべて崩され、絶対的な孤独に陥った被疑者は、目の前の取調官の「評判」を得るために、なんでも言ってしまうようになるのだ。

最終的に、この冤罪は最高裁判決によって無罪になる。この時裁判官を務めた5名中4名までが、過去に誤判事件を引き起こしていたというから驚くよりほかはない。被告の体験を持っていたことが、被告への共感を持つことにつながり、裁判官を俯瞰的な眼を持つ「公平な観察者」に進化させた。

これら一連の事件と、アダム・スミスの『道徳感情論』を総括し、著者は意外な真理を投げかける。それは、共感は人を罰するために生まれてきたのか? という問いかけである。

集団で行動する多くの生物には、互恵的利他主義という特性がある。仲間を救っておけば、今度は自分が飢えた時に救ってもらえるという恩恵を当てにする行動を指す。さらに人間は言葉や文化を持つため、その影響は目に見えない部分にも及んでいく。自分の評判を高めることで恩恵が返ってくるという行動原理も加わるのだ。

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