ちなみに解散前の党首討論で選挙課題として掲げられた、“身を切る議員数削減”は100%実行されないだろう。民主党はどうせ大敗するのが分かった時に、議員数削減を最後の仕事で敢行するのが国益的にも民主党の戦略的にも正しかった(身を切るのはどうせ落選する自分たちではないのだから)
別に下野した3年で何か大きな変化があったわけでもないのに、政権に復帰した自民党。私が尊敬する城繁幸氏は、そのコラムで「自民党がもっと馬鹿になって戻ってきたのだとすると、悲劇を通り越して喜劇だ」と書いておられるが、はたして3年3ヵ月ぶりに帰ってきた自民党は、300議席に迫る絶大な権力に相応しい信頼にたる政党になれるだろうか。
信頼は時に不公正で不道徳
信頼とはいったい何だろうか。これを知るために、まずあなたが信頼している人を思い起こしてほしい。それは第一に両親かもしれないし、恋人かもしれないし、親友かもしれない。
彼ら・彼女たちはあなたの利益を第一に考えてくれており、あなたに損失が及ぶようなことはしないし、お互い助け合う関係ないし無償の愛を注いでくれる存在である。私の愛犬アンドレは私を見るたびに喜びを表現して駆け寄ってくるわけだが、これは私がその愛犬に愛情を注ぎ可愛がっているのを知っているからだ(ここだけの話、頻繁に本気にかみついてきて、私の彼に対する信頼は揺いでいるが)。
信頼という概念の構成要素には、正直さ、誠実さ、規律、有能、愛情などがあるが、一番大切なのは“自分は優先的に尊重してもらっている”という安心感であろう。
したがってこの信頼という概念は、時に道徳性や公共性の要素を凌駕する。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が白熱教室で「あなたの家族が犯罪を犯して匿ってほしいと言っている。あなたはどうするか」「 あなたのルームメートがテストで不正を働いたことを知った。あなたは告発するか」というような問いかけをした際、学生たちは総じて「身内との信頼を護る」と回答していた。
同様のことは政治家と支持者の間の“信頼関係”にも言える。政治家は公共性や道徳性、正義よりかは支持母体の利益最大化に奔走するのだ。したがって支持母体をどれだけ広範に広げているかが、リーダーの責任と器の大きさを規定する。
安倍氏がその支持基盤を従来の保守層から、右も左も広く巻き込み、近隣諸国や国際社会との信頼関係を意識した器の大きな首相になられることを切に祈念する次第である。
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