ポジショニングにしても、日本的な発想とは一線を画している。話は脱線するが、僕の母校は「京都府立洛北高校」である。前身は京都府立第一中学(京都一中)で、1870年設立の日本最古の中学校だ。旧制中学の中でも群を抜いて文化人や学者や知識人を大量に輩出しており、ノーベル賞受賞者も多い。なぜか先生も先輩諸氏も考え方が国際的で、昔からライバル校は英国のイートン校やラグビー校だと言っていた。つまり、東京一中や大阪一中を相手にしなかった伝統があり、京都企業のユニークさにも繋がっている気がしてならない。
京都が観光客を集める原動力の1つになっているのが、JR東海のキャンペーン「そうだ 京都、行こう」である。このテレビCMは約4半世紀も続いている。コピーが洒落ていて僕は大好きなのだが、京都人や京都企業なら絶対考えつかないキャッチコピーで毎回、楽しませてもらっている。僕に言わせれば、京都人にはない感性を持つよその人たちが、勝手に京都のイメージを創ってくれている。
本当の京都人ならキャッチコピーなどどうでもよくて、実質的に役に立って本当に良いものならいつでも人が集まってくるという考え方が基本にある。なぜなら、日本仏教の各派の本山は京都に集中しているし、茶道、華道、書道、能楽、唄、舞踊なども数えだせば切りがないが、これらの家元も京都に集中している。そしてその京都的イメージの要素に衣食住があり、その衣料のベースが和装着物である。食の要素には老舗の京料理が存在し、住居には町家から寝殿造りまで多様性に満ちている。そうした総合力が京都ブランドとなっている。
ブランド力が失墜した和装ビジネス
さて、和装ビジネスの話だが、僕の母は「京の着倒れ」を実践していた根っからの京女だった。日本舞踊の師匠であったことから1着数百万円の着物が衣装箪笥の中に眠っていた。どうやら和装に関してはカネに糸目は付けないようであった。一方、僕は縁があって繊維商社の「蝶理」に就職したが、昔は京都店の呉服ビジネスの利益率が大変高かったことを覚えている。
和装の世界は同じ品質でも昔の京友禅になると「この手描き友禅は京都にしかないのどす」と言えば2倍3倍で売れる世界だったようだ。普通では考えられないビジネスモデルなのだが、長年通用していたのが不思議なくらいだ。いくら伝統文化だと言っても、経済合理性を著しく欠く。時代とともに市場は縮小し、和装ブランディング戦略は完全に失敗してしまった。
蝶理は手描き友禅の職人さんの不足を補うために中国の東莞に「京蝶苑」という独資企業を設立し、中国の手先の器用な若者たちに手描き友禅を教えた。発想はすばらしいが、コンセプトとターゲットとポジショニングが構築できずに最終的には失敗してしまった。優秀な職人さんの跡継ぎがいなくなったことも事実で、京友禅の伝統文化を維持することができなくなったことが致命傷になったのである。その後も数々の企業努力をしたが、最終的には、西陣の伝統文化を中国に移植したところでこの独資企業を人手に渡さざるを得なくなった。
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