前編では経済制裁終了後のイランに対して、世界の期待が高まっていることについて取り上げました。後編では日本との協力関係やイランが抱える問題と未来の方向性について触れたいと思います。
25年前、8年続いたイラン・イラク戦争が終結した直後にイランに2度ほど訪問したことがあります。日本の三井物産が中心となって進めていたIJPC(イラン・ジャパン石油化学)が解消となる時期だったと記憶しています。余談ですが、商社マンの間では「商売の駆け引きは中国人(華僑)がうまいと言われるが、その中国人もインド人(印僑)には敵わないという。ところがそのインド人はペルシャ商人(イラン人)には勝てないという」が通説でした。
今こそ知っておきたい日章丸事件
そんな環境下ではありましたが、日本はイランと良好な関係を築いていました。当時は「イランの石油が日本の高度成長を支えた」と言われたくらいです。当時のイラン石油は輸入シェアの2位でしたから、日本の民族系元売り企業にとって重要な供給国でした。ここで古い話題ですが、石油取引の黎明期に起きた「日章丸事件」について触れておきたいと思います。
百田尚樹著の『海賊とよばれた男』を読まれましたか。出光興産創業者の出光佐三をモデルにした小説です。大型タンカーの日章丸でイランの石油を引き取りにいく場面が圧巻でした。これが「日章丸事件」で、1953年に実際に起きた英国石油メジャーとの訴訟などに発展した事件です。出光興産がイラン石油をあえて輸入することから、英国資本の石油企業が出光のタンカーを撃沈させようと画策する。出光佐三はその裏をかいて石油取引を成功させたというドキドキハラハラのストーリーでした。
当時の通産省、東京銀行、東京海上火災保険が法律違反を犯してでも出光佐三を応援するのが痛快無比でした。高度成長時、日本がイランと協力して、経済制裁を受けていたイラン石油の取引を、英米の巨大資本を相手にしながら成功させる話に拍手喝采を送ったものです。僕が興奮したのは、出光佐三氏がイギリスとの衝突を回避するために第三国経由でイラン側の交渉者と話を進め、国内外の法律をクリアして国際法の対策を綿密に準備する場面でした。
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