サウジが「イラン絶縁」で迎える歴史的な岐路 米国への信頼喪失に財政難の追い打ちも
シリア、イラク、そして「イスラム国」(IS)と、混迷を深める一方の中東情勢。背後には、サウジアラビア対イラン、イスラム教の「スンニ派」と「シーア派」の盟主を自負する、両国の覇権争いの構図がある。南部ではイエメンで代理戦争が燃え上がる。
中東を二分する両国。イランが視野に入れる勢力圏は、イランとイラクを中心に、「シーア派ベルト地帯」が地中海からアラビア半島、北インドまで広がる。1979年のイラン・イスラム革命後、イランはシーア派ベルト地帯に革命の輸出を開始。レバノンでは、シーア派武装政党ヒズボラの育成に成功し、拠点を築いた。
一方、サウジアラビアの裏庭であるバーレーンなどGCC(湾岸協力会議)諸国は、首長(王家)はスンニ派ながら、住民はシーア派も多い。このすき間を突き、イランがシーア派を支援し、王政打倒運動を続けているという危機感が、サウジアラビアにある。その動きはシーア派が多いサウジアラビア東部州(ハサー地方)まで及ぶ。主要な油田は東部州に集中するが、サウジアラビアが征服して100年足らずで、歴史が浅い。
サウジアラビアによるニムル師の処刑
2011年には、シーア派による反体制運動が始まり、武装闘争に発展。その指導者がニムル師であり、2012年に逮捕された。その後、サウジアラビア政府によって、死刑判決が下され、処刑されたのが、今年1月2日だ。
報道が伝わるや、イランの首都テヘランにある、サウジアラビア大使館が焼き討ちに遭う。翌3日にすかさずサウジアラビアがイランと国交を断絶。4日にはイランに対する経済制裁を発表した。世界に向けて、「サウジアラビア対イラン」の対立が可視化され、放送されたのである。
サウジアラビアにとって、逆風はそれだけではない。最も痛手なのは原油安だ。中国の景気後退が顕在化し、世界でデフレ懸念が高まる。米ニューヨーク原油市場では、一時1バレル=30ドル割れまで急落し、リーマン・ショック時を下回る、12年ぶりの安値をつけてしまった。
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