サウジが「イラン絶縁」で迎える歴史的な岐路 米国への信頼喪失に財政難の追い打ちも
両国の対立は、本来なら原油の供給不安から価格高騰をもたらすはずだが、そうはならない。「サウジアラビアとイランが戦争でもしないかぎり、原油価格は上がらない。危機も収束する」と、サウジアラビア情勢に詳しい保坂修司・日本エネルギー経済研究所研究理事は指摘する。
イランにはこれ以上、過激になれない事情がある。2015年には米欧と、核開発停止や経済制裁解除で合意し、履行プロセスの途上にあるからだ。サウジアラビアのムハンマド副皇太子兼国防相も1月7日、「イランと戦争しない」と早々に矛を収めている。
もっとも、サウジアラビアからすれば、イランが地政学的なライバルであると同時に、宗教的憎悪の対象になっていることに変わりはない。緊張関係は依然続く。
財政赤字に転落したサウジアラビア
サウジアラビアの国内事情も見逃せない。孫崎享・元駐イラン大使は「処刑と断交はサウジアラビアの国内引き締めを目的に行われた。それだけ国内の矛盾が深まっている兆し」と指摘する。
そもそもサウジアラビアの起源と正統性の源泉は、18世紀のサウド王家とスンニ派ハンバリー法学に属するが、原理主義的解釈をする宗派であるワッハーブ派とも同盟関係にある。王権と宗派の狂信的情熱が合体し、過去にアラビア半島征服戦争に打って出た。それが今やサウジアラビア国教の地位に納まり、穏健なスンニ派原理主義に落ち着く。
サウド王家は歴代ワッハーブ家と婚姻を重ね、法学者らを“公務員化”して不満を抑え、支持者にした。しかし、国内には原理主義をまじめに受け取り、アル・カーイダやISを、慈善基金やポケットマネーで支援する富豪が少なくない。オサマ・ビンラディンも大富豪の地位を捨て教義に殉じた一人だ。
実際に処刑された47人のうちシーア派は4人。43人はアル・カーイダ系の王政に敵対した国民だ。これまでサウジアラビアは、イスラム法重視・反シーア派という価値観を共有する、アル・カーイダ系のヌスラ戦線やISを、ひそかに支援。が、パリ同時テロ以後、欧米で「IS主敵論」が急に高まり、国際協調とイスラム過激派支援という、“二股外交”が許されなくなった。処刑はイスラム過激派と縁を切る大きな決断を内外に宣言したと推測できよう。
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