村上隆(上)「世界で勝つには、勘・挨拶・執念」 アートの世界で、僕が生き残れている理由
――だからこそ村上さんは、若者に嫌われてでも、厳しく礼儀をたたき込むのでしょうか。
ゆとり教育や情操教育といった教育方針の下で、ともすると無責任に、先生や親御さんが、友達みたいに子どもと接してしまっています。わかりやすい例は、アニメの『崖の上のポニョ』で、主人公の5歳の少年が、母親のことを「リサ」と名前で呼ぶことです。宮崎駿さんの作品というのは、 いつも時代のリアルを活写するので、良い悪いではなく、そうなっているわけです。
親からすると、「子どもと対等に接してあげる」という思いやりかもしれませんが、それをやっているがゆえに、子どもは、「親を敬う」とか「自分は育ててもらっている」ということも理解せず、社会のヒエラルキーや構造も知らないままに、成人してしまう。
だから私は、日本の最下層階級のどちらかといえば貧乏な、普通といえば普通の親に育てられて、そんな人間が普通に生きていくには、いろんな葛藤があったという事実を、私と同じようなクラスターの人間に伝えようとしてきました。そうしたら、結構コンフリクトが生まれたわけです。私は別に、嫌われ役を買って出たわけではなく、「社会構造はこうなっていますよ」と伝えたら、嫌われてしまったということです。
――ビジネス界でも、同じようなことに悩んでいる人は多いかもしれません。
今、僕と同世代の中小企業の社長が、自信をなくしていると思います。
特に、自分が手塩にかけた若者が、理由もなく辞めてしまったり、それによって事業が傾いてしまったりするような技術職等で、事業存続ができない可能性が出てきたとき、どんな社長も自分の事業指針、教育理念は間違っていたんじゃないだろうか?と自問してしまいます。
そういうとき、「問題の根本の所在地」を発見し直してみてほしい。若者とコミュニケーションギャップに横たわる、時代のズレを認識してみれば、それを超えて行ける自分にとっての普遍性のある正義、真理の方向性も見てくるはずと言いたかったんです。
また、大企業でも、現在中間管理職の立場にいて、ゆとり世代の教育に苦労している人にも、です。大企業にとっては「世代間のギャップくらい、現場で何とかしろ」でしょうが、なかなかどうして、最近はそんなレベルの話ではない。事態は深刻です。そんなある意味仲間へのエールを送ったつもりです。