ドラッカーも語らない、すごい不合理の解決法 新世代リーダー 西條剛央 「ふんばろう東日本」代表
現状の政策決定では賛成と反対、双方の論者から意見を聞くというプロセスを経て物事が決まります。すると「私はこう思う」「私はこう思う」と様々な人がそれぞれに主張し、じゃあ多数決をとりましょう、となる。
これでは小学校の学級会と変わりません。賛否が分かれてこじれたときに、双方の関心まで下りていって、ズレを調整するということもない。
ここで「方法の原理」という「構造構成主義」の考え方で考えてみると、議論の道筋が見えてきます。
構造構成主義とは心理学のメタ理論の一種で、私が作った理論です。2002年ごろに「質的心理学会」という学会ができ、人文社会の分野では新しい流派として広まりつつあります。
もともと時代や文化を超えて通用する「原理」に興味があった私は、心理学の研究手法への疑問を抱き、この理論にたどり着きました。
心理学では伝統的に統計を取ることを重視しています。しかし、統計を用いなくても知見は見いだすことはできるのではないか、という疑問が心理学の博士課程に在籍している際に浮かんだのです。
すると、統計を使わない研究とは科学的なのかどうか、という問いにぶつかりました。さらに突きつめていくと、「科学とは何か」「良い研究、悪い研究とは何か」というような本質的、原理的な思考に下りていったのです。そして「構造構成主義」という理論を作るに至りました。
ここで構造構成主義で言う「方法の原理」で、毛布配布の問題を考えてみましょう。
ここでは、プロジェクトの有効性は①状況、②目的の2つから規定されることになります。先ほどの毛布を配布するという事例でいくと、役所の人の状況は「目の前で凍えている被災者がいる」、そして目的は「市民を幸せにする」ということです。そうすると、おのずと「配布する」という結論が導き出されます。
ここで、毛布の配布に反対しようとする人は「配らないことの正しさ」を証明しなければいけない。これはかなり、難しいでしょう。この議論の方法が多くの人にインストールされれば、「ものすごく不合理なこと」はまかり通らなくなります。
原発の是非に関する議論についても同じことが言えます。「原発事故によって故郷に住めなくなった人がいる」「事故へのリスクもなくなったわけではない」という中で、原発推進派は原発があったほうが人々が幸せになるということを論証しなければならない。しかし、推進派の人々は経済的な観点からしか話をしていない。
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