――公務員の仕事以外に、これから増えてくる仕事としては、何が考えられますか?
藤原:アロマセラピストやネイルアーティストなんて、20年前にはなかった職業でしょう。それが今は一分野として確立しているわけだから、今後10年ぐらいで、そういう新しい仕事が、100個も200個も出てくると思いますね。
まず、「何とかセラピスト」というのは無限に出てきますよ。結局、成熟社会では、みんなが精神的なところに向かっていくことになる。日本には支配的な宗教がないから、なおさらそうなると思う。
だから、「水セラピスト」でも、「鉛筆セラピスト」でも、「スーツセラピスト」でも、あらゆるものにセラピストをつけた職業が出てくるよね。実際、「動物セラピスト」がすでにいるわけだし。たとえば、臨床心理系の仕事と、犬の世話をするトリマーの仕事を10年ずつやれば、40代からドッグセラピストにもなれてしまう。
それから「何とかカウンセラー」「何とかコンサルタント」「何とかアーティスト」というのも、無限に出てきますよ。
渡邉:これからは、「世の中にどんな仕事があるか」について、小学校の段階から教えたほうがいいですか?
藤原:小学校の段階では、職業調べみたいになるのはしょうがない。でも、職業調べでは情報編集力を養うことにはならないよね。職業調べというのは、ただ単に現在の学習の延長だから。
中学の教育では、「2つの仕事を組み合わせると、どんな仕事が生まれるか」という情報編集力側に持ってこないとダメです。
職業教育より大切なこと
渡邉:なるほど。藤原さんが校長を務められた和田中では、それを十分できた感じですか?
藤原:いや、いや、時間が限られているから、十分できたってことはないです。「総合学習」の時間がどんどん減ってしまって、週3コマあったのが今は1コマしかないから。
ただ、生半可な職業教育の授業をやるよりも、地域の大人が、日常的に学校の中に入ってくる仕組みを作ったほうがいいと思う。
たとえば和田中では、地域本部を作って、いろいろな大人が学校に来るようにした。授業のゲストだったり、放課後の図書室の管理だったり、芝生のお世話だったり、部活のサブコーチだったり。教員と同じくらいの数の人たちが入ってくるわけ。
大人たちは、元商社マンだったり、職人だったりするので、大人のモデルが多様であることが、生徒たちも自然とわかる。こうして子供たちとナナメの関係を作るというのがすごく大事なの。昔は、地域社会の中にも、いろいろな職業の人がいたでしょ。
渡邉:そうですね。ただ、それが崩壊してしまった……。
藤原:だから、学校を核に地域社会のようなものを再生しないといけない。やっぱり人間は、中間集団がないと弱いんだよね。
西洋みたいに絶対神がいると、絶対神の前では平等だという考え方になって、個人が生まれていくんだけど、日本では絶対神がないから。