主役より光る!真田昌幸「弱くても勝つ方法」 大河ドラマ「真田丸」に学ぶ生き残りの戦略
根の深い確執から徳川を嫌った昌幸
真田信繁(幸村)の父にあたる真田昌幸(まさゆき)は、信濃国小県(ちいさがた)郡の小豪族、真田幸隆(ゆきたか)の三男である。幸隆は武田信玄の父信虎に所領を追われていたが、信玄が武田氏の家督を継ぐと信州に帰って武田氏に臣従した。
昌幸は、幼い頃に人質として武田家に送られ、信玄の許で多くの合戦を体験した。信玄は昌幸の才を「わが両目の如し」と愛し、武田家足軽大将の武藤家を相続させた。
ところが天正3年(1575)の長篠の戦いで、長兄の信綱(のぶつな)と次兄の昌輝(まさてる)が討死したため、真田家に帰って家督を相続した。
天正10年(1582)3月に、織田信長の攻勢で武田氏が滅亡すると、昌幸は織田氏に臣従し滝川一益の与力武将となった。ところが3カ月後に信長が本能寺の変で横死すると、旧武田領を統治する織田勢は逃走し、無主となった旧武田領を巡って徳川家康や上杉景勝、北条氏直らが争奪戦を繰り広げ、昌幸も武田家旧臣を取り込んだ。
滝川一益が北条氏直に敗れると上野(こうずけ)も無主になり、昌幸は沼田城を奪取した。嫡男の信幸を岩櫃(いわびつ)城に入れて上野の守備を固めたが、小大名の真田氏の領土は徳川、上杉、北条から狙われ、昌幸も状況に応じて三者の間を渡り歩いた。
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