大阪は長年の「地盤沈下」から抜け出せるのか どないやねん?ポスト橋下の大阪・関西
2008年、橋下知事が誕生した背景には、こうした大阪の状況があった。
下図は、名目値で日本経済がピークだった1996年と橋下氏就任時の2008年の都道府県別GRPを比較したものである。
社会問題の増大、地域経済の停滞で「改革の機運」が高まっていたときに登場したのが橋下氏だった。 ご承知のとおり、昨2015年5月に行われた大阪都構想の是非を問う住民投票は、僅差で否決された(この分析結果の詳細)。一方で、11月大阪府知事、大阪市長のダブル選挙ではともに、大阪維新の会の圧勝におわっており、首都圏在住者からみると、ひどくねじれた状態にみえるかもしれない。
実は、圧勝に終わった市長選における吉村氏の得票数は約60万票。一方で、否決されたとはいえ、昨年5月の都構想の住民投票の賛成票は69万4844票とそれよりも多かったのである(反対票は70万5585票)。大阪都構想という、考えてみれば、かなり無茶のある話であっても、これだけの賛成票を集めた。その後も大阪維新の会は相当な支持を維持している。多くの府民・市民が、50年以上続く(特にこの20年の)経済の停滞とそこから生じた社会的な問題を実感しているからにほかならない。多くの有権者が、「都構想が唯一絶対の答えかどうかは分からない」けれど、「改革の必要性」については共感している状況なのだ。
知事、市長として橋下氏が取り組んだこと
橋下氏は2008年2月から大阪府知事、2011年11月から昨年2015年12月まで大阪市長を担った。その間の主な取り組みをあげると下記のようなものがあげられる。
・職員給与・ボーナス・手当・福利厚生・退職金の削減、議員定数削減
・私立高校の無償化、中学給食の実施、学習塾の費用助成
・府庁「青少年・地域安全室」の新設、街頭防犯カメラ設置
・出資外郭団体の民間への売却(市としては72団体⇒32)
・伊丹空港と関空会社経営統合
・府市の情報公開の徹底、橋下氏自身のメディア戦略
大阪府市の行政のスリム化、規律強化は橋下氏に始まったことではない。大阪府の財政再建は橋下氏の前任の太田氏が流れを作ったといわれる。また、大阪市の改革は、「大阪市職員のカラ残業、厚遇問題」などに端を発して、前々任の関市長時代に始まっている。
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