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フランスのヴァルス首相が最近、イスラム過激派にはまったく正当性がないと主張したのは正しかった。同首相は4月4日には、イスラム過激派の底流をなす教えで、フランスを中心とする欧州で改宗を進めようとするサラフィー主義がイデオロギー上で勝利する危険性に関して警告したが、この主張も正しかった。
フランスの歴代の政府は30年にわたり、この議論に取り組む責任を放棄してきた。その消極姿勢は短期的には社会的な平和をもたらしたが、共和国の価値観とは異なる価値観がフランスの各都市に根付くのを可能にした。そしてその後、代々の政府はイスラム過激派が実はファシズムであると認めることを拒否し続けてきた。
仏政府の融和姿勢は極右も勢いづかせた
政府のこうした失敗は、政治的に極端な考えを有する人々を利してきた。2012年には極右の国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が、ユダヤ教の男性がかぶる小さな帽子のヤムルカと、イスラム教で女性がかぶるヴェールとを、両方の宗教を批判する目的で、一緒くたにした。そして今月、元老院(上院)のエステール・ベンバサ議員(ヨーロッパ・エコロジー=緑の党)は、ミニスカートもチャドルも疎ましい点では同じだと主張した。
問題を一層複雑にしているのは、過激派が穏健派に大声で罵声を浴びせることで優位になり得る点だ。フランス革命の間、議会で山岳派がジロンド派の声をかき消したように、過激なジハード主義者は 他者や法を守って自らの信仰を静かに実践するために放って置いてほしいと望む多くのイスラム教徒の声をかき消している。
それから最後に、宗教的な狂信者が自分たちを立腹させた者に汚名を着せると、指導的立場にある者は怖気づいて主張を変えることが多い。古くはインド人の小説家サルマン・ラシュディであった。今日ではアルジェリア人の小説家カメル・ダウドだ。
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